金 言 「自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。」(マタイ10:39/新改訳2017)

説教題 「イエスの権威によって④」
聖 書 マタイ10章34~11章1節
説教者 長谷部裕子師

本日は2019年度初めての聖日です。今日から52回の聖日を共に主をたたえ、みことばに教えられ、慰めされ、励まされるために、たましいを養う力があるいのちの糧を十分にいただきましょう。そうすればいつも聖霊に満たされており、心とからだと霊が健やかに生かされる感謝と喜びにあふれた一年を送れるでしょう。
年度の初めの礼拝なので、教会に仕えてくださる運営委員の3名の方々と、CS教師並びにヘルパーの皆様の任命式がございます。奉仕される兄姉のためにとりなし祈り、良き助け手としてお支えください。

1.遣わされる者をいたわり労われる主

3月から「イエスの権威によって」と題して、イエス様は12弟子を選びご自分の代わりとして、弟子たちを二人一組で町々村々に遣わされます。派遣する前に彼らが心得ておくべきことを話されました。「平安を祈ってあげなさい。」(12)「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」(16)「語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。」(20)「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(28)と教えます。弟子たちは見知らぬ土地で、どんな扱いを受けるかを恐れながらも、一方でイエスの命を受けていよいよ遣わされることに喜びを感じていただろう。12弟子たちは宣教旅行から帰ってくると、イエス様に喜びの報告をしています。「さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。」イエス様は彼らの労をねぎらって『「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。』(マルコ6:30、31)

2.偽りの「平和」でなく、御霊の「つるぎ」を

イエス様は弟子たちがたじろぐような厳しいことばを投げかけます。(34~38)イザヤのよって誕生の預言を受けたとき「平和の君/Prince of Peace」(9:6)と呼ばれています。それなのにここでは「平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきた」(34)と言われます。わたしたちも家族の中でいさかいを起こさずに穏便にふるまおうと努めていても、クリスチャンが神様とみことばに忠実に生きようとするとき、親しい家族でさえ一致できないことはあります。偽りの平和でも事なかれ主義でやり過ごすことも可能ですが、それでは信仰の出番はありません。ここで言うつるぎを「御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。」(エペソ6:17)に当てはめてみてください。わたしたちの唯一最強の武器はみことばです。世を恐れることなく信仰を貫き、誰よりも主を一番に愛しましょう。

3.キリストの弟子には報いがある

キリストの弟子になるには、さらに高いハードルがあります。自分の十字架をとってわたしに従ってくる者とか、わたしのために自分の命を失っている者でなければならないとイエス様は弟子たちに決心を迫ります。一見厳しい直言が言い渡されます。しかし試練の時を耐え忍び信仰を守り抜いた者、イエス様を受け入れる者には大きな報いを必ず受けますと約束されます。さらに困難が必須となるであろう弟子に対しても「冷たい水一杯でも飲ませてくれる者」というささやかな親切を施す者を忘れないで省みてくださると言っていられます。それならばわたしたちは労多くても無駄に辛抱を強いられることはなく、神様はすべてのときを見ておられて、いつの日かすべて報いてくださると信じるなら、主にあって無益なことなど何一つないのです。キリストの弟子には報いがあります。イエス様は弟子たちに必要なことを語り終えると、ご自分はまた宣べ伝えるために出て行かれました。(マタイ11:1)

【中高生への考えるヒント】

(問1) イエス様が弟子に語ったことで、心に一番残った教えはなんですか。
(問2) つるぎはエペソ6:17では何にたとえられていますか。
(問3) あなたはキリストの弟子としてどんなことに報いられたいですか。