金 言 「わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。」(ピリピ4:17)
説教題 「共に祝福にあずかる」
聖 書 ピリピ4:10~23
説教者 矢島志朗勧士
ピリピ人への手紙を読み続け、いよいよ最後となった。4章の前半では、パウロから愛
情をこめて、一致することが勧められる。また思い煩ってはならず、感謝をもって祈りと
願いをささげるならば、人知ではとうていはかり知ることのできない平安によって守られ
ることも語られる。神の視点から見て価値のあることに目を向け、パウロから学んだこと、
受けたこと、聞いたことを実行するならば、平和の神が共にいてくださると語られる。神と
の関係、また兄弟姉妹との関係をふさわしく持つことにより、神が共にいてくださること
がわかるというのである。手紙は最後の挨拶へと進み、感謝と神への信頼、祈りとともに
閉じられていく。
1.ありとあらゆる境遇に処する秘訣(10-14)
使徒行伝16-18章によれば、パウロたちがピリピに渡って宣教したために、仕事
を失った占い師の主人たちが陰謀をくわだて、パウロたちが牢獄に入れられてしまう。しかし、そのことをも神が用いて牢獄の看守一家が救われていく。そしてピリピを離れてテサロニケ、アテネ、コリントへと旅が続き、困窮の中でシラスとテモテがマケドニアから遣わされて支えられることで、パウロはみことばを語ることに専念することができた。
欠乏の中での、ピリピの人たちからの贈り物をパウロは喜び感謝している、しかし一方でパウロは、この贈り物のあるなしに関わらず「ありとあらゆる境遇に処する秘訣を心得ている。」(12)「わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもすることができる」(13)と語った。「秘訣」とは「免許皆伝」を意味する言葉である。13節にはこのような訳も存在する。
「私は私のうちに内的な力を注ぎこんでくださるかたを通して、どんなことでも行う用意があり、どんなことにも耐えるのです。すなわち、私はキリストの充足のうちにあって自足しています。」
どんな境遇であっても、キリストにあって充足しているのである。パウロははからずも欠乏、困難の中で、神こそが真の与え主であり、この方に信頼していくという秘訣に至ることができたのである。私たちには日々の生活の必要があり、また働きにおいては様々な責任があり、それらを果たすための努力を精一杯するが、必要が満たされ、働きが成し遂げられる源が神にあることをどこまで深く認識できているだろうか。困難のただ中こそ、神が源であり、力を与えてくださる方であることを知るチャンスである。「私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」という信仰告白に導かれていきたい。
2.共に祝福にあずかる(15-20)
15節以降に、援助への感謝が述べられているが、16節に「一再ならず」とあり、
その援助は単に機械的に一度だけ物資を送ったのではなく、必要に応じて援助を繰り返した様子がうかがえる。交わりの中でお互いの必要に気づき合う関係があって、実のある支援、助け合いがなされたことを覚える。
また、このやりとりでパウロは贈り物自体を求めているのではなく、「あなたがたの
勘定をふやしていく果実」(17)を求めていると述べる。この「果実」は「霊的祝福」とも訳される。それはかんばしいかおりであり、神が喜んで受けて下さる供え物である。つまり、欠乏の中にあるパウロたちを支える贈り物であったが、それは実は神へのささげ物であって、その信仰と行為を通じてむしろ「霊的な祝福」にあずかる行為であったというのである。なされたことは「ピリピ教会からパウロへの支援」であるが、しかしそれは「神がご自身の栄光の富中から、いっさいの必要を満たしてくださる」というお互いの確信に至らせる行為でもあったのである。私たちは交わり、愛し合い助け合う営みの中で、神が一切を満たしてくださるあることを共に知り、喜ぶ者でありたい。
3.私たちから、ひとりひとりへ(21-23)
21~23節で語られる「よろしく」は、「ひとびとり」に対して「わたしたち」からのもの
であることが目に留まる。「カイザルの家の者たち」(22)は、カイザルの実の親族のことではなく、当時のローマ政府の公務員だろうと言われる。「わたしたち」から「あなたがた」へという、主にある交わりがここにある。パウロとピリピ教会の聖徒たちは、共に主イエス・キリストの福音を宣べ伝える同労者であった。交わりの中で助け合い、主が必要を満たしてくださることを共に教えられて喜び、「主イエス・キリストの恵み」があることを祈り合った。この交わりにならって、私たちも歩んでいきたい。
(問1)パウロはなぜ、ありとあらゆる境遇に処することができると語りますか(10-14)
(問2)パウロとピリピの人たちは、どのようなかたちで、共に祝福にあずかっていますか。(15-20)
(問3)わたしたちは、お互いのためにどのような祈りをささげられますか。(21-23)