金 言 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。(使徒行伝 2:17)
説教題 「御霊の語らせるままに」
聖 書 使徒行伝2:14~18
説教者 長谷部裕子師
今日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステの意味はギリシャ語で「五〇」です。今日開かれた使徒行伝二章一節には「五旬節の日が来て」とあります。私たちは月の初めを初旬、月の真ん中を中旬、終わりを下旬と言います。「旬」の意味は一〇日のことを指します。ですから「五旬」は一〇日間が五つで五〇日になります。こういうわけで五旬節をペンテコステと言います。
1.ペンテコステの由来
ペンテコステは、元来はユダヤ教の三大祭りである過越祭、仮庵の祭りと並ぶ祭りの一つです。人々はモーセが出エジプトをしたときに行った「過ぎ越しの祭り」から七週後、つまり五〇日目に守りました。イスラエルの人たちはカナンに定住してから農業を行うようになり、小麦の収穫感謝祭をとしてペンテコステを祝いました。。後年はシナイ山で神様から十戒を授与された日を記念して、律法に感謝する日にもなります。キリスト教ではキリストが復活されて、五〇日目のペンテコステのお祝いの日に聖霊がくだります。三位一体の神の第三位格の聖霊が、天から降ったので「聖霊降臨日」と言われます。
ユダヤ教においては、穀物収穫を感謝する時だったのを、キリスト教においては、聖霊が降臨されたことによって、各々のクリスチャン生涯に豊かな実りをもたらす結実の記念日となりました。言い換えますとユダヤ教のペンテコステという祭日に、聖霊が天から降ったことにより、ペンテコステがキリスト教化する新たな意味合いが生まれて、ここが教会の出発点となりました。
2.御霊が語らせるままに
イエス・キリストは復活された後四〇日地上にとどまり、復活のお姿で多くに人々に同時に現れました。それにより死に完全に勝利されたことを証しされます。やがて「聖霊がくだるのを待ちなさい」と言い残して、弟子たちを離れて昇天されます。それから祈りの輪は日ごとに膨らんで、百二十名余りの人が集まって一心に祈ります。五旬節、その日ついに聖霊はくだります。驚くことに「すると、一同は聖霊に満たされ」(2:4)たのです。14節からはペテロが11弟子たちを代表して、反対者を前に臆することなく朗々と、初めての説教を説き始めます。三度も主を否み泣きはらした夜、立ち直れないくらいにうちひしがれたはずのペテロでした。しかし復活の主にお会いしてすべてゆるされたことで、立ち直ります。こんなペテロに聖霊がくだると御霊に満たされて、御霊が語らせるままに、力強く自由に主を証ししています。
3.すべての人に注がれる聖霊
17節からペテロは旧約聖書ヨエル書を引用します。ヨエル書はイスラエルの信仰復興について語っています。その信仰復興は聖霊の注ぎによって起こると言っています。その預言は今、聖霊が降臨したその日に成就したとペテロは言います。17節の「終わりの時」とは主イエスの来臨(誕生)からもう一度おいでになる時(再臨)を指します。「終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。」と約束されました。つまり老人も若者も男と女の区別はなく、その身分や教養のあるなしに関わらず「わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(18/新改訳2018)と言われます。主の御霊は待ち望むすべての者に注がれます。
わたしたちは時にどうしてある人は恵まれ用いられているのに、私は恵まれて、用いられないのかとがっかりすることはありませんか。心配には及びません。なぜなら聖霊は目には見えなくとも、すでにこの地上に下っているのです。たとえて言うならラジオを聞くときはチューニングを合わせると、ピタッと波長が合うと途端にはっきりと聞こえ、聞きたい音楽やニュースが耳に飛び込んできますね。それと同様にあなたの心を、聖霊の周波数にチューニングするのです。それを受け止めて聞くことができれば従って行けます。聖霊はあなたの助け主であり、慰め主です。あなたの弁護者としていつもそばにおられる三位一体の神様のなかで、最も信じる者に近い存在です。使徒行伝では聖霊により頼んだ結果、すべての人は要所要所で用いられ、教会は力を得て活気に満ちて勢いが増します。
(問1)ペンテコステはギリシャ語でどんな意味ですか。
(問2)教会が始まるとき、初めての説教をしたのは誰でしょう。
(問3)聖霊が注がれるのは、特別な人たちだけですか。あなたにはどうですか。