金 言 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」マタイ5:3
説教題 「幸いな人になる」
聖 書 マタイ5:1~12
説教者 長谷部裕子師
今日の箇所は「山上の垂訓」また「山上の説教」の冒頭の箇所です。「山上の説教」が語られた背景は、イエス様は山に登り、座ると話を聞こうとみもとに集まってきた弟子たちに教えを語られます。「山上の説教」は長い説教で、7章の終わりまで続きますが、一回で語られた一つの説教ではないとされます。一回に聞かせるにはあまりに長いからです。マタイはイエス様がのべられたすべての説教の要約を「山上の説教」にまとめたと思われます。それを裏付けるかのように、ルカの福音書に似た記述があちこちにありますが、ルカは福音書の各所に分散して記録したのです。7月は2回に分けて「至福の教え」または「八福の教え」(「○○は、さいわいである。」を八回繰り返す)について学びます。今日は前半の3つのさいわいです。
1. こころの貧しい人たちは、さいわいである
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」これが最初に語られることは当然とされます。それはこの後に続く「さいわい」を解くかぎになるとされるからです。こころが貧しい人でなければ、天国に入れないからです。裏を返せば、神の国にはこころの貧しくない人はいません。こころの貧しいという本当の意味は空っぽにするということです。私たちはまず空っぽにならなければ、満たされることはありません。自分の内に澱む古きものを流して、こころを空にして神様を待ち望む人です。こころの貧しい人とは、神様無しにはひとときも生きられないことを自覚して、必要な助けと力を神様にのみ求める人です。こころの貧しさの特性とは「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。」(イザヤ57:15)に現れています。
2. 悲しんでいる人たちは、さいわいである。
「悲しんでいる人たちは、さいわいである。」と聞いて、この世の人は不可解に思うであろう。世はできる限り悲しみは避けるべきだと考えるからです。しかし、ここでいう「悲しむ」とは不幸な出来事に対して、悲嘆している人を指すのではありません。これは霊的な悲しみです。さいわいですと称賛されているのは、霊において悲しんでいる人です。それが自らの罪の自覚です。真の救いの喜びがあるためには、本当に意味での罪意識が必ずさきになければなりません。そこは福音の真髄です。ある人々は罪の自覚を持たずに喜びが欲しいと望みます。それは不可能です。本当にさいわいになりたいと願っている人とは、まず罪を自覚して悲しんでいる人です。なぜなら回心してキリスト者となった人は、罪赦された喜び、神様と和解する喜び、神様から離れた者を連れ戻してくださることを知った喜び、やがて与えられる約束の栄光の時を待つ喜び、永遠のいのちに生かされている喜びを知っています。世の人が知ることのできないそれらの喜びとさいわいは福音を信じた人に与えられています。
3. 柔和な人たちは、さいわいである。
「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」(5)にも異論を唱える人は少なくない。この世が考えるのは強さと力があり、能力と自己主張を押し出せば上から統治しやすいですが、そういう人は柔和とは言い難いからです。イスラエルの民を四十年忍耐強く率いたモーセは柔和の人と言われました。(民数記12:3)この柔和とは単なる気弱さや日和見主義や事なかれ主義ではありません。柔和な人とは、真理のために戦おうとするので、そのために死さえ辞さない人です。殉教者たちは柔和ですが、彼らは弱くはありませんでした。(ステパノ/使徒7:59、60)主イエスは「柔和で心のへりくだった者」(マタイ11:29)です。わたしたちも主の霊を内に宿して、「柔和」という御霊の実を結びたい。
クリスチャンの幸福とは、この世から影響されないものです。主イエスは言われました。「その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。」(ヨハネ16:22)八福の教えが語る喜びは、苦痛や悲しみを乗り越え喜びがあり、痛みや嘆きでも消されない喜びで、死さえも奪い取ることのできない喜びです。一方でこの世に喜びはやって来ては去ってゆきます。健康が失われたり、計画は失敗したり、願望がかなわなければ喜びはたちまち消えます。しかしクリスチャンは、どんなときにもこころの深いところに平安と喜びがあります。なぜなら良いことにつけ悪しきことにつけ、何が起きても神様を信頼しているからです。それがイエス・キリストと共に歩む者だけが持つ喜びでありさいわいなのです。
(問1) こころの貧しいとは、どういう人ですか。
(問2) 悲しんでいるひとは、なぜさいわいなのでしょう。
(問2) あなたは苦しいや悲しいとき、どうやって乗り切りますか。