金 言 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」マタイ5:3

説教題 「幸いな人になる」その二
聖 書 マタイ5:1~12
説教者 長谷部裕子師

先週から山上の説教の語り始めに書かれた八つの幸いについて話しています。この箇所が世の中では、素直に喜べない状況であろう心の貧しい人や悲しんでいる人さえも、神様から幸いと言われる理由はどこからくるのであろう。神の国に生きるキリスト者にとっては、こうしたさまざまな状況に置かれることは幸いなのです。そのわけはそのときこそ、神の国の祝福を味わう時だからです。先週は心の貧しい人たち、悲しんでいる人たち、柔和な人たちは幸いですと教えられました。

1.義に飢えかわいている人たちは、さいわいである (6)

四番目の幸いは、義に飢えかわいている人たちです。日本語で義と聞くと「正義」とか「仁義」という熟語を思い浮かべます。しかし、義に飢えかわいている者とは、人間が守るべき道徳に従い、正しい行いをしようと努力する人のことではありません。そうではなく、神が備えてくださった信仰による義を熱心に求める人々のことです。ユダヤ教では律法を守ることによって、神の義を全うしようとしましたが、だれひとりできませんでした。それは「律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。」(ガラ3:11)とある通りです。だから、神様は主イエス・キリストを通して救いを備えてくださいました。そこで御前に義とされる唯一の道「信仰による義人は生きる」がただ恵みによって人間に与えられました。
旧約聖書に「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。」(詩篇42:1~2)とあるように、飢える・かわくというもとの言葉には、もし得られなければ死んでしまうほどの危機意識を伴う追求心を表す言葉です。つまり主は御国の民が、それほどまでに義を熱心に追求することを願っているのです。この義を熱心に求める人に人々にイエス様は「飽き足りる(満ち足りる/新改訳2017)」(6)と約束されました。この言葉は、動物が獲物を食べ、満腹感を味わっている姿を現す言葉で未来形です。神様の義が満たされるには、終末の神の国を待たねばなりません。

2.あわれみ深い人たちは、さいわいである (7)

五番目の幸いは、あわれみ深い人たちです。日本語で「あわれむ」と辞書で引くとかわいそうに思うとか気の毒に思う、同情するなど情緒的なニュアンスが強い。しかし新約聖書が書かれたギリシャ語は、単に心で同情するだけでなく、人に対して具体的に行動することを含んでいます。あわれみとは行動する愛です。それは感傷でも、情緒でもなく、行動として現れる愛です。行動する愛の模範として思い出されるのが、「良きサマリヤ人のたとえ」(ルカ10:30~37)です。あるユダヤ人は強盗に襲われて瀕死の状態でした。同胞のユダヤ人たちは関わり合うのを避けて見捨てていきます。そこに旅の途中のサマリヤ人がたまたま通りかかります。サマリヤ人とって敵対関係にあるユダヤ民族にもかかわらず、彼を手厚く看護を行いかかった費用を負担すると約束します。たとえを語り終えたイエス様は「あなたも行って同じようにしなさい」。と言われます。結局あわれみは神様の重要な属性です。あわれみ深い人とは、神様が人に対して持っている態度と同じ態度を人に示すことです。神様が人々を考えるように考えて、さらに行動するのです。他の人たちにあわれみ深い人を、神様は見ておられ、その人に神様のあわれみが返ってくるのです。

3.心の清い人たちは、さいわいである (8)

六番目の幸いは、心の清い人たちです。清い者とは混ざりものがないことを強調したことばで純粋なものです。イエス様は心の清い人たちは幸いであると言いました。ところが罪を犯した人間の心は「悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくる」(マタイ15:19)のです。神様は「人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。」(創世記8:21)とあり、エレミヤは「人の心は何よりもねじ曲がっている」(17:9/新改訳2017)と言っています。要するに人間は誰も生まれながら心は清くないのです。
しかしイエス様の死と復活の後では、十字架の贖いの血によってすべての罪を赦され、きよめられたものとなりました。この恵みにあずかっている人々こそ幸いなのです。主キリストの再臨と共に完成する御国において、「御顔を仰ぎ見る」(黙示録22:4)その日は必ずやってくるのです。しかし今ははっきりとは神を見ることはできません。「神を見る」は未来形だからです。「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。」(Ⅰコリント13:12)日々心を清く保つために、絶えず御顔を仰ぎましょう。

(問1) 聖書の言う「義」とはどんな意味を現わしますか。
(問2) 神様のあわれみとはどのような愛を指しますか。
(問2) 生まれながらの心のきよい人はいますか、どうやって人はきよくなりますか。