金 言 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9/新改訳2017)

説教題 「幸いな人になる」その3
聖 書 マタイ5:1~12
説教者 長谷部裕子師

「山上の説教」で最も有名な箇所は、「…な者は幸いです」が8回繰り返される八福の教えです。今朝は最後の二つの福について共に学びましょう。こうして学んでくると「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」(4)を見てもわかるように、一般に言われる幸福感と異なった観点のシアワセが、クリスチャンには存在するようです。

1. 平和をつくる者は幸い (9節)

 日本人として誰もが平和の思いを強くするのは、原爆投下そして終戦を迎えた8月ですね。私たち人間は、平和な状態と聞くと人間同士の争いがなく穏やかで友好的な有様を思います。しかし聖書が語る平和の意味はそれとは異なります。平和はヘブル語でシャローム、ギリシャ語のエイレーネは「全ての被造物が、創造者との関係において、それぞれふさわしい位置に置かれること」と言われます。人間同士の平和のもとは、創造主の神様と被造物の人間の関係性を正し和解することです。平和を「つくる者」とは、単に平和に生きる、平和を望むといったやや消極的な意味合いではなく、積極的に「つくる者」です。人々の利害がぶつかり、対立が生じるとき、互いを調和させ平和的な解決を生み出すため具体的に努力する人です。  ここでイエス様が語られた「平和」は平和の神が人と和解することから始まります。「その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。」(コロ1:20)とあり、わたしたちは御子を信じる信仰によって神様に義と認められたので、イエス・キリストにあって「神との平和」を得ました。イエスによるこの平和を受けた者が、その平和を自分を取り巻いている人たちに、もたらすように努力をするのです。そのような人々を「平和をつくる者」と呼んでいます。この聖句の後半は「その人たちは神の子どもと呼ばれる」ですが、わたしたちは救われたときすでに立場は神の子です。(Ⅰヨハネ3:1)だから、恵みによって神の子とされた者が、その呼び名にふさわしい者になることです。

2. 義のために迫害されている者は幸い

 (10~11節)  最後の幸いな人は「義のために迫害されている者」です。悪を行った結果苦しむのは罰ですが、義のために苦しむのは迫害です。「義」については6節で触れましたが、人間が自分の行いによって獲得する倫理的な義(正義)も少しはありますが、第一義的には神様が御国の民のために備えてくださった義(神の救いによって与えられる義)です。私たちの周囲には、信仰のゆえの目立った迫害は少ないでしょう。しかし仕事上に意に染まない神事がもちこまれたり、社会生活では自治会などで他の宗教の祭事に悩まされたり、家庭生活でも宗教が違う家族や親戚付き合いと上手に付き合っていくことにストレスが生じます。クリスチャンであるがゆえに陰口を言われて、生きづらさや疎外感を感じるかもしれません。都会より因習が強い田舎の方が迫害はあります。聖書は「たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。」(Ⅰペテ 3:14)と言っています。ステパノは迫害の中で聖霊に満たされて天を見つめると、神の栄光を見てそこにイエス様が立っておられました。天の御国から御父と御子が、迫害の中で戦うクリスチャンの信仰を支えてくださるのです。

3.天の報いを喜ぶ者に(12節)

 じつにイエス様に従う者は迫害を避けられません。パウロは「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモ 3:12)言いました。そのように迫害を受ける弟子たちに対して、イエス様は「喜びなさい。大いに喜びなさい。」と勧めています。これはきわめて強い喜びを表す言葉が使われています。新約聖書では喜びは感情の問題でなく、心の姿勢として扱われています。使徒たちはこれを本当に行っていました。イエスの名によって語ってはならないとむちを打たれて釈放されたのに、「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。」(使 5:41)とあります。イエス様はなぜ迫害を喜びなさいと命じられたのでしょう。それは、現在迫害され悪口を言われることが、将来の報いの約束だからです。今、信仰のゆえに屈辱を味わっても、神様は忠実な信仰者を忘れず、やがて天において豊かに報いてくださるのです。現在の忍耐は徒労には終わりません。約束された報酬を受ける日は来るのです。

(問1) あなたの心が平和になるためには、まずだれと和解すべきでしょう。
(問2) あなたは誰に対しても、自分はイエス様を信じていると言えますか。
(問3) イエス様は迫害されたら、どのようにしなさいと言われましたか。