金 言 「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべての恵みを心にとめよ」(詩篇103:2)
説教題 「主の恵みを心にとめよ」
聖 書 詩篇103篇1~14
説教者 矢島志朗勧士
今日は、敬老祝福礼拝である。私たちが生きていくうえでは、常に先輩や同
世代、後輩たちに囲まれている。長く生きている先輩方が築いてくださったも
の、また語ってくださる経験や教訓によって私たちは教えられ育てられるととも
に、それらを通して神様の真実なみわざを知ることもできる。神様に感謝しつ
つ、詩篇のみことばに聞いていきたい。
1.主の恵みをこころにとめよ(1-6節)
この詩は、紀元前6世紀にあったバビロン捕囚からの帰還直後のことについて述べたものであると言われる。イスラエルの民は神の律法を授かったが、偶像礼拝をはじめとする罪を犯して主にそむき続けた結果、神のさばきを受けて、異教の地バビロンへと捕囚された。しかし約60年後にクロス王を通じて、解放が始まっていく。この詩は、神様をほめたたえ、その恵みを心にとめるようにとの言葉に満ちている。
2節の「そのすべてのめぐみを心にとめよ」は、新改訳では「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とも訳される。不義からのゆるし、墓からのあがないなども、この捕囚の苦しみからの解放を思い起こしての言葉である。
これらの言葉が、神の厳しいさばきを経ての言葉であることに注目したい。民にとって苦しい期間、悔い改めを迫られる期間であった。しかし神様による解放の感謝と喜びが、このように溢れるように語られる。悔い改めて神様との関係が回復されるときに、神さまへの賛美がわき、苦しみであった期間をもふくめて主のあわれみであり、主が良くしてくださり、飽き足らせてくださるという告白へと変わる。主をほめたたえ、また罪が示されるならば正直に認めて悔い改めて立ち返り、このような告白に生きる者とあり続けさせていただきたい。
2.正義と公正(7-8節)
しえたげられる者に正義を行い、解放してくださる神様のご性質が語られる。ここでも、バビロン捕囚からの解放の出来事が想起される。神様は正しく、必ず公正にことを行ってくださる方であることが記されている。人間に対する神様の基準は、モーセの律法(出エ20章)を通して与えられた。神様はきちんと基準を持たれている。そしてその基準の中には、正義と公正を大切にされる神様のご性質があらわされているのである。
3.父のあわれみ(9-14節)
徹底して、主が憐れみ深い方であることが語られる。これはしかし、何のけじめもなくあわれみ、罪を罪のまま放置してよいと言うのではない。御子イエス・キリストが十字架にかかりが死んでよみがえってくださったがゆえに、神様と私たちとの関係が回復されたのである。そして私たちは、主のあわれみを知る者とされている。主の前に悔い改めるなら主はその罪を「東が西から遠いように」(12)忘れてくださるのである。
そしてまた、主のあわれみは「父がその子をあわれむように」ともある。地上の父との関係は人によって様々かもしれない。しかし私たちは聖霊によって神様の愛を知ることができる(ロマ5:5)。神様は、私たちを土のちり(4,創2:7)で造られた方であり、私たちの良さも弱さもご承知の上で、私たちを深くあわれんでくださっている。私たちがもし、主を恐れて悔い改めに生きることをやめないならば、常にこのあわれみを知りながら生かされていくことができるのである。
私たちは人生という旅路の中で、様々なことを経験する。主に立ち返り続ける姿勢を持ち続けるならば、罪が大きく苦しみが深いほど、むしろ神様の愛を教えられていく。教会の交わりには、そのような恵みの体験の言葉が満ちている。そして長い歩みをされてきた方の言葉には、教えられ励まされるものが多くある。それぞれの存在、歩みに敬意を表して交わりつつ、神様の恵みを心にとめつづけて歩んでいきたい。
(問1)神様をほめたたえる理由は何ですか?(1-6)
(問2)神様はどのようにして、人に道を示されましたか?(7-8)
(問3)神様のあわれみの深さは、どれほどでしょうか?(9-14)