金 言 「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩 103:2/新改訳2017)
説教題 「わが魂よ、主をほめよ」
聖 書 詩篇103篇
説教者 長谷部裕子師
今日は一年で最後、52週目の礼拝です。慣例から「年末感謝礼拝」と言います。お寺では大晦日に釣り鐘を百八つ突いて、煩悩を消すと言いますが、教会では、一年を終えるにあたって、むしろ感謝をカウントします。なぜなら、クリスチャンは日々神様から示された罪をそのときに悔い改めてお祈りしているので、大みそかにまとめて罪の総決算をやらなくても良いわけです。
わたしは詩篇103篇の2節の新改訳のみことばが、特に心に響きます。「わがたましいよ 主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」ここに詩篇の記者の溢れるような尽きない感謝を感ぜずにはおれません。わたしたちの信仰もかくありたい。感謝は過去の出来事だけでなく、
祈って待つときでさえ、先取りの感謝ができます。(マルコ11:24)
1.いつまでも怒っておられない (3~10節)
多くの人は災難や失敗、困難な時に素直に感謝する気にはなれませんが、よく振り返ってみると、そこには必ず主の深い計らいが隠されているのです。だから感謝は探してでもするとき、思いがけない恵みの宝を再発見し主をほめたたえるのです。神が人の罪を怒りゆるさないで、「過去に悪いことをしたから、その報いで現在悪い結果がくる」と因果応報の神と思い違いをすることがあります。しかし神はいつまでも怒っておられません。「主はいつまでも争ってはおられない。とこしえに怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。」(9~10)だから罪の呵責に耐え切れず、罪がないと自分を偽っておびえる必要はありません。神はあなたに赦す機会を与えてあなたと和解を願われています。
2.土のちりにすぎないけれど (11~16節)
感謝は恵みに対する自然な応答の現れです。11~12節は、神の御恵みと神の赦しは途方もなく広く深い。「天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。 東が西から遠く離れているように主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。」恵みとは、それを受けるに値しない者に対する神の真摯な愛のことです。神は天におられ気高くきよく栄光に輝き、人は地に住み罪をさまよいますが、天と地ほどのかけ離れた隔たりがあっても、主はわたしたちをあわれまずにはおられないのです。
それは神が人を造られたからです。「主は私たちの成り立ちを知り私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。」(14)のです。父である神は愛しい我が子が罪を認め悔いて、神のもとに帰還する日を待ちわびておられます。いつでも走り寄って抱き留めてくださいます。(ルカ15:20)
3.感謝をみことばを行う力に変えて (17~22節)
わたしたちは神に感謝して、御名を賛美してほめたたえたら、信仰に立ち「主の契約を守る者主の戒めに心を留めて行う者」(18)「みことばの声に聞き従いみことばを行う力ある勇士たち」(20)にならなければなりません。口先だけで感謝を述べるだけでおわらず、「主のみこころを行い主に仕える者たち」(21)へと、信仰を成長させたいと思います。感謝は信仰の実を結ぶことで、神の栄光をたたえることに繋がります。
103篇のはじめでは、「わがたましいよ 主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ 聖なる御名をほめたたえよ。」(1)と自分自身の内なる霊に呼びかけていますが、最後の22節でまた「主をほめたたえよ」と繰り返しています。「すべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。」と、外に向かって呼びかけています。作者の感情の移行を伺わせます。信仰は内側から外へ発信、霊を燃え立たせて、周囲に良い影響と感化力を保ち続けたい。
(問1) 神様はあなたの失敗をどう思われていますか。
(問2) 永遠の神様に対して、人は何にたとえられますか
(問3) 神様に感謝をどういうかたちで言い表したら良いでしょうか。