金 言 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」(Ⅰペテロ2:9)

説教題 「神の民として生きる」
聖 書 Ⅰペテロ2:9~10
説教者 長谷部裕子師

2020年が本日から始まりました。今年はオリンピック・イヤーなので、このスポーツの祭典のために、世界中の人たちが日本に集まってきます。では一体世界には何か国あるかご存知ですか。国連加盟国で数えると193か国だそうです。わたしたちクリスチャンは日本の国籍を有すると同時に、神の国に属する「神の民」なんです。一年の最初の日である「元旦」では、わたしたちは神の民なんだというアイデンティティに立って、感謝とプライドと信仰の確信をもって過ごしたいと思います。

1. 神のものとなった選ばれた民

旧約聖書における神の民イスラエルは「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民」の四つの名称で呼ばれていました。イスラエルの民は、神によって選ばれたアブラハムの子孫たちで、選ばれた種族でした。彼らは血のつながりによって結ばれてきました。しかし新約聖書の時代は「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12~13)とあり、今やわたしたちはキリストによって、霊的ないのちを共有する「神のものとされた民」となりました。これは地縁、血縁よりはるかに深いいのちの絆です。キリストのいのちを共有するわたしたちは神の家族です。 また「王のある祭司」です。祭司は神と人の間に立って、とりなしをします。わたしたちも神とこの世界の狭間にあって、とりなし祈るのです。神に背き神から離れて生きようとするこの世界のために、神のあわれみと恵みを乞い求めます。 わたしたちは「聖なる国民」です。「聖」とは他の者とは区別され切り離されて、神に献げられ神のものになったという意味だそうです。 さらにわたしたちは「神のものとされた民」です。わたしたちはかけがえのない宝、神の民です。 これらの名称に共通するのは、神とのつながりです。神によって選ばれ、神に属する、神にとって特別な存在になりました。

2. 神の民の特権とその使命

 神の民になるとは、とても光栄なことであるとわかりました。でもそれはわたしたちに他人より優れた特性があったから、選ばれたのではないことはお互いが自覚されておられるでしょう。パウロもⅠコリント1:26~31で語る通りです。わたしたちは新しく始まったこの年も、52週間共に礼拝をささげ、共に祈り合い、語り合い、愛し合って霊的な信仰共同体「神の民」として生きていきます。 わたしたちは時や場所は異なっても、神に救われたという同じ信仰の体験があります。それは、「あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった」(9)という特別な人生の転機でした。わたしは罪の闇を滅びへと突き進んでいたとき、ひとりのクリスチャンとの出会いによって、教会に導かれさらに大勢の「神の民」と出会い良い感化を受け、福音によってイエス・キリスト様と出会いました。このお方はわたしを「ご自分の驚くべき光の中に召してくださった」のです。 人と人が争い傷つけあう罪の世界とは別に、わたしたちはいつも「神の民」としてのアイデンティティを持ち、み言葉によって生きることは、神の栄誉を証しすることになります。悪に染まらず困難に負けないで、どんなときにも感謝して生きる姿を通して、わたしたちが信じる神様のすばらしさを伝えることになります。

3. 神のあわれみゆえに贖われて

パウロは「あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。」と言ってこの救いは特別な出来事と言います。(エペソ2:5)神の民とされたことを喜びながら、救われたあわれみと恵みに満ちた神様をほめたたえ、一人でも多くの人が救われるために、神の民として受けた神の愛をわたしたちの存在と行いで表しましょう。

(問1) あなたが神の民なるために、あなたが神にしたことが何かありますか
(問2) 神の民になるときにどんなことが、あなたに起きますか
(問3) 神の民になることで、あなたは神からどんな役目を与えられましたか