金 言 『モーセは民に言った。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。」(13)
読まれた聖書箇所は、モーセ物語です。「プリンス・オブ・エジプト」と言えば、最近アメリカで作られて大ヒットしたミュージカル・アニメーション映画です。その波乱万丈な聖書のストーリーに引き込まれます。主人公モーセは出生にドラマがありました。エジプトで奴隷だったヘブル人の子として生まれますが、エジプトの王ファラオは彼らの増加と反乱を恐れて、生まれてきたヘブル人の男子を皆殺しにさせます。モーセは絶体絶命の危機から家族は神にすがるような思いで、パピルスの籠に入れてナイル川に流されます。その籠がエジプト女王に拾われたことで、モーセは敵のふところで大切に育ち、エジプトの帝王学を始め最高水準の教育を受けます。成長したモーセは、同胞のヘブル人が奴隷として働かされるのを、見過ごせず誤ってエジプト人を殺してしまいます。一転してモーセは追われて流浪の身となり、ミデヤンの荒野に逃れて羊飼いとなり祭司エテロの娘チッポラと結婚してその地で平安に生活します。しかし神様はモーセを呼び出し、燃え尽きない芝の中から使命を与え再びエジプトに赴きます。神様はモーセによって十の災いを起こし、ついには苦しみ喘ぐイスラエル人をファラオから救い出し、指導者となってエジプトから連れ出します。一度はイスラエル人を手放したファラオが、軍隊を率いて彼らを連れ戻そうと追いかけてきます。意気揚々と出エジプトしたイスラエル人でしたが行く手を紅海に阻まれ、後方からは追っ手が迫りくる中で、万策尽きたかに思えます。
1. 最大の危機が迫るときにこそ 10~12節
モーセの後を喜んで従って出エジプトした民でしたが、自分たちが窮地に追い込まれると知るや否や、このような有様に陥ったすべての責任を、指導者モーセに押し付けて、ここで死ぬよりエジプトで仕えた方が良かったなどと、とんでもない不平不満をぶつけます。かつて彼らは奴隷の苦しみを、彼らの神に嘆き訴えまことを忘れていましたが、神は神の民アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を忘れず、イスラエルの子らを救い出されます。(出2:23~25)神はどこまでも真実なお方で約束したことを、必ず果たされるお方です。わたしたちは祈りのこたえを性急に願い求めがちです。それで答えられないとあきらめて祈ることを止めます。しかし神はこう言われます。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヘブル12:5)つまり最大の危機が迫るようなときにこそ、どこまでも主を頼みとしてゆきたい。6節のように信仰に奮い立とう。「ですから、私たちは確信をもって言います。「主は私の助け手。私は恐れない。 人が私に何ができるだろうか。」(6)
2. 神に絶大な信頼をおいて従えば 13~20節
動揺するイスラエルの民に、モーセは語りかけます。恐れてはならないと、恐れは物事を冷静に判断する力をなくします。わたしたちは恐れるあまり、神に対する「信頼と信仰」を失くし、本来の行動力は鈍ります。一方で恐れから神に先回りして最悪の事態を想定するのです。イエス様は瀕死の子を持つ会堂司にこう言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」(マル 5:36)モーセはおじ惑う民に「主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」(14)と励ます。モーセは神が言われた通りに杖を上げて手を生みに差し伸べると大海は真っ二つに分かれます。あなたが神に絶大な信頼をおいて従うときに、神の御力見るのです。ラザロが死からよみがえりに立ち会うマルタとマリヤにイエス様は「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」(ヨハネ11:40)と言われます。
3. 偉大な神の御力を見る 21~31節
勇猛果敢で腰が据わった指導者モーセも、召命を受けた最初からそうではなく、神に向かって弱気なって否定的に受け答えしています。(出エジプト4:10~17)あのモーセでさえひるんだのなら、わたしたちが神に大きなチャレンジを与えられて、達成できるか失敗を恐れて悩んでも当然です。重要なのはあらかじめ自分の力量を推し量ることでなく、神様を信じて従ってみるのです。(マルコ11:22~23)一年が始まります。いきなり大きな約束を神の御前に持ち出すことはありません。自分が主にあって達成しようと願う小さな目標に向かって、信仰の一歩を踏みだしてみましょう。(マルコ10:27)
(問1) 危機が迫るとき、あなたならまず何をしますか。
(問2) モーセは絶体絶命の危機の時、どうしましたか。
(問3) あなたが今年チャレンジしてみたい目標は何ですか。