金 言 「わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的のもと下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。それは、早くからキリストに望みをおいている私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。」(エペソ1:12~13)

説教題 「ずっと前から選ばれていたのです」
聖 書 エペソ1:1~14
説教者 矢島志朗勧士
今回からしばらくの期間、エペソ人への手紙から教えられていきたい。この書は
パウロがローマの獄中から書いたと言われる。きっかけは、コロサイの教会に異端が起こり、混乱が生じたことにある。混乱への対処をするためにコロサイに手紙が送られたが、パウロは周囲のアジアの諸教会にも手紙を送る必要を感じ、エペソ及び周辺の諸教会に向けてこの手紙を書いた。
 エペソは小アジア西海岸の都市であり、ローマ帝国のアジア州首都で、経済的にも繁栄し、異教のアルテミス神殿があった。パウロは第2回伝道旅行で短期間伝道をし、 第3回伝道旅行では重要な伝道拠点として、約3年滞在した。
 エペソ人への手紙には、永遠にわたる神の救いの計画に対する深い洞察がある。また、目に見えない霊的な、キリストのからでである教会についての深い洞察も記され、その上で実際的な勧めがなされていく。

1.神の選び(1~6)

 冒頭の挨拶の後に、父なる神への賛美とともに、神の祝福について語られる。
神が私たちを祝福し、天地の造られる前からキリストにあってわたしたちを選び、神の子たる身分を授けるように、あらかじめ定めてくださったというのである。パウロ自身がかつては教会の迫害者であり、キリスト者たちを捕えようとダマスコに向かう途中でイエス様に出合い、一方的な恵みによって救われて、キリストを伝える者とされた。彼こそが誰よりも、神の祝福、選びを自覚していたであろう。私たちもまた誰一人、自分の力で神を選び、救いを獲得した者はいない。今こうして救われ、神の子として、神を礼拝し神に仕えて生きる者とされたのは、一方的な祝福、選び以外の何ものでもない。驚くべきことであり、このことを深く覚える時に、神様の栄光をほめたたたえる思いが湧き上がってくるのである(6)。

2.神の民として一つにされる(7~12)

 続いて、御子イエス・キリストによるあがないと、罪のゆるしについて語られる。ここ「罪過」とは一つ一つの過失のことを指し、これらがすべてゆるされて帳消しとなる。ゆるしの恵みは増し加えられ、さらにその先へと進む。神様が知恵と悟りとを与えて、御旨の奥義を示してくださった。それは、天にあるもの地にあるものがことごとくキリストにあって一つとされることである。ここにユダヤ人と異邦人が含まれることは、当時では考えられない驚くべきことであった。神によって選ばれた者たちは、個々人でその恵みを受けるだけでなく、神の民として一つとされるのである。その姿の中に、栄光があらわされ、私たちはその栄光をもほめたたえる者とされている。私たちが今キリストのからだである教会に連なり、共に礼拝し、愛し合って歩むように導かれていることもまた、神様の壮大な計画の中にあることなのである。

3.聖霊による保証(13~14)

これらの祝福は、私たちが救の福音を聞いて、イエス・キリストを信じたことによって、現実のものとされた。私たちの地上の歩みは不完全で、救いの完成に向かう途上にいるのであるが、今すでに神の国を継ぐ保証として、聖霊の証印が与えられている(13)。「証印」とは、は所有権や保証を示す印である。聖霊の内住こそが、救われ、神の民とされたことの印である。聖霊は常にイエス・キリストが救い主であることを示し、私たちに喜び、慰め、知恵、希望を与え続けてくださるのである。そして私たちが全くあがなわれたときに、神の栄光をほめたたえるに至る。

神様の選びも、一つとされることも、福音によって救われたことも、すべて「キリストにあって」のものである。イエス・キリストが地上に来てくださり、私たちのために十字架にかかりよみがえってくださったことが、すべての中心にある。私たちが神の栄光をほめたたえる者とされるところに、究極の喜び、希望がある。天地が造られる前から愛され、選ばれていることの感謝と喜びをいただき、共に神様をほめたたえながら、神様に仕え、福音を伝えていく日々を歩ませていただきたい。 

(問1)神様は私たちを選び、何を授けてくださいましたか(1-6))。
(問2)神様の奥義とは、どのようなものですか(7-12)
(問3)聖霊が与えられていることによって、何が保証されていますか(13-14)