歴代誌第一 4章9~10節
「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」
説教題:「新年の祈り(ヤベツの祈り)」 中 島 秀 一
聖 書:歴代誌4章9~10節
歴代誌はサムエル記や列王記に省略された記録を補足する意図を持って書かれた文書です。特に1章から9章の部分には、アダムからバビロン捕囚後時代までの系図が記されています。4章にはユダの子孫の名前が羅列される中で、ひときわ光る箇所が4章9節から10節の部分です。ここには「ヤベツの祈り」が記されています。創世記のエノクにも匹敵するような信仰の人物と言っても決して過言でありませんが、ヤベツの名前や生涯についても今日のテキスト以外には知ることはできません。エノクの場合は旧約聖書に10回、新約聖書に3回、合計13回も記されていますが、ヤベツはここに3回記されているにすぎません。
この「ヤベツの祈り」を一躍有名にしたのは、ブルース・ウイルキンソン著「ヤベツの祈り」です。それまでは「自分本位な祈り」として、「執り成しの祈り」と比べると身勝手な祈りとして評価された面もありました。
私はコロナ感染という身近な恐怖を感じている昨今、いま一度、神への祈りの重要性を確認しつつ、自らの祈りの姿勢を深く反省し、主のみ心に適った祈りを捧げる者として頂きたく願っています。
「ヤベツの祈り」は、「四つの祈り」から成り立っています。
Ⅰ 私を大いに祝福して下さい。
彼はまず「私を大いに祝福して下さい」と祈っています。「恵み」とは神からの祝福に授かること、何の見返りも求めないで、ただ憐れみによって与えられることを意味しています。ヤベツは他人を祝福するのではなく、大胆にも「私を祝福して下さい」と祈っています。その祈りにはそれなりの逼迫した状況があったのではないでしょうか。ヤベヅの名前は、母親が「私が痛みのうちにこの子を産んだから」と言ったことに関係しています。この言葉の真意は不明です。ただわが子の名前に「苦しみや痛み」をつけることは尋常なことではありません。余程の深い事情があるように思われます。その一方で「ヤベツはその兄弟の中で最も重んじらえた」(9)という記事には大きな慰めを得ることができます。「最も重んじられた」とは何を意味しているのかは分かりません。ただ、そうした中でヤベツは「私を大いに祝福して下さい。」と祈ったのです。
ヤベツはユダ族の一員として「わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう」(出エジプト20:6)という十戒に従い、神を愛し、御名を崇める生活をしてきたに違いありません。そういう前提があればこそ彼は大胆に「わたしを恵んでください」と祈ることができたのです。ここに「恵みの循環、祝福の循環」があります。
人生には肉体的、精神的、環境的など様々な苦難が伴います。更にそれらの苦難は先天的なものから後天的なものなど、まさに人生は苦痛の連続です。ヤベツもまた、そのような様々な苦難や悩みを生まれながらにして持っていたのではないでしょうか。
聖書は「そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」(マルコ11:24)と教えています。
ヤベツは確固たる信仰をもって神に祈りました。私たちも迎えたこの一年、神の前に素直になって、理屈抜きで、神に「私を大いに祝福して下さい。」と信仰を持って祈ろうではありませんか。
Ⅱ 私の国境を広げて下さい。
「国境」とは隣地との境界線のことであって、それを広げるとは自分の領地を広げることに他なりません。神様は私たち一人ひとりに使命を与え、それを達成するために賜物を与えておられます。
聖書は「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」(ヨシュア1:3)と約束されました。また「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ」(イザヤ54:2)、さらにキリスト者に「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」と命じています。
私たちにとっての責務は伝道と教会の建て上げです。信徒の救いの数やや献金のことを口にすると、何となく卑しいように思われがちです。
私たちの新会堂が今日の広さを確保できている背後には、先日亡くなられた木村武國兄を初め、当時、教育館として取得した頃の役員や信徒の方々の信仰と祈りがありました。1999年1月のことです。それまで隣家に住んでおられた方は教会の騒音に対して非常に過敏な方で、よく苦情を訴えられ、教会にだけは売りたくないという気持を持っておられました。教会としては将来のために何としても取得したい土地です。その時に与えられたのが「あなたの天幕の場所を広く」というお言葉でした。私たちは隣人に心を配ると共に、一生懸命に祈り励みました。その結果、隣人の気持ちも和らぎ、相手側から売却の意向が伝えられました。
個人的には家族や友人知人から救われる方々が多く与えられるために、また教会的にも量的にも質的にも機能的にも大きなビジョンを持って宣教と教会の建て上げのために地境を拡大していかなくてはなりません。
Ⅲ 御手が私とともにあるようにして下さい。
「あなたの手」とは神の臨在の象徴です。つまり神ご自身がいつも、常に、離れず、変わらず、私と共に居て下さるように祈っているのです。
① 伸ばされた手=癒やしの手
「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『そうしてあげよう、きよくなれ』と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。」(マタイ8:3)
② 抱かれた手= 愛の手
「そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。」(マルコ10:16)
③ おかれた手= 祝福の手
「そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。」(マルコ10:16)
④ あげられた手= 祈りの手
「それから、イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手を上げて彼らを祝福された。」(ルカ24:50)
⑤ かむ手=信仰の手
「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた。『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』」。(マタイ14:31)
Ⅳ 私を災から遠ざけ、痛みを覚えることがないようにして下さい。
ヤベツの祈りは生活に即応した、具体的な祈りです。自分の願いをストレートに祈っています。「我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ」という祈りの必要性を高齢になってから身近に感じるようになりました。他人事ではなく、具体的な祈りになってきたのです。
いよいよ二回目の緊急事態宣言が発出されました。感染が爆発的に増加し、医療崩壊の危機に瀕しています。コロナ対応に追われ基礎疾患の患者にとっては助かる命も助からないという非常事態の時代を迎えています。
ヤベツの生涯の最後については聖書は記載していません。人一倍の患難辛苦の生涯を送る中で、自分の身の上を呪うような時もなかったとは言えない人生であったと思われます。しかし聖書は「神は彼の願ったことをかなえられた」のです。私たちもコロナの終息のために、ヤベツの祈りを心を合わせて祈らせて頂きましょう。
神に栄光があってはじめて地上に平和が実現するのです。私たちはまず、神に栄光をお返ししましょう。すると神は地上に平和、人に祝福を満たして下さるのです。新しい年の祈りは、「主の祈り」と「ヤベツの祈りです。
「大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことができるようにと病弱を与えられた。」
(「病者の祈り」の一部)
(問1) あなたはヤベツのような祈りを捧げていますか。
(問2) あなたが今一番神に祈り願いたいことは何ですか。
(問3)本日のメッセージで一番心に響いたことは何ですか。