聖 句 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。(Ⅱコリント3:18)

説教題 「輝いて生きよう」
聖 書 Ⅱコリント3章13~18節
説教者 長谷部裕子師
 
 気温は寒い日がまだまだ続く二月に入りましたが、日差しにもうそこはかとなく春を感じるのは、春が待ち遠しい気持ちからそう感じるのでしょうか、いいえ確かに冬へと向かう日が短くなる秋の日差しと違い、キラキラと眩しい心弾むお日様の光を感じて心地よい風が肌を撫でていきます。しかし、一方で今から10日後の2月17日には「灰の水曜日/Ash Wednesday」を迎えてキリスト者はレントの期間に入ります。レントはイースターの前日4月3日までの40日間(日曜日を除く)まで続きます。この6週間は、キリストが苦難を受けたことを思い起こして礼拝を守る期間に入ります。さて世の中ではアンチエイジングがしきりと叫ばれていますが、クリスチャンは外見だけでなく内面が年を取ってもますます輝いて生きることが可能です。生きている限り誰でも年をとりますが、年齢を重ねてもカガヤイテ イキルが人の目標となる今だからこそ、この約束を本日の箇所18節の聖句に見つけて喜ぶのです。

Ⅰ.古い契約から新しい契約へ

古い契約は律法の遵守することで救われるとします。イスラエルの民はモーセを通じて神様からいただいた石の板に刻まれたから十戒を、形式的に守れば救われると思い違いをしていた人々です。では律法は罪なのか、もちろん違います。(ローマ7:7~10)人は古い契約では何びとも救われません。罪悪感や後ろめたさにひとり悩み孤立して、きよい神様から背を向けざるを得ないのです。無神論者は「神などいない」と言い張り、頑なな心におおい(ヴェール)がかけているのです。
しかしそんな私たちを神様は愛しあわれんでくださり、イエス様を地上に送られ私たち人間と新しい契約が結ばれたのです。このお方を受け入れた人は「しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。」(ローマ7:6)新しい契約それが福音です。

Ⅱ.内なる主の御霊の声に耳を澄ます

 16節に転機は突然訪れます。「 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。」のです。それはキリストを主として受け入れるはっきりとした回心のことです。「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。」(6)救われて私たちは御霊を宿す者ミタマノ イキモノになったのです。(Ⅰコリント3:16)救われるまでは自分の肉なる声に聴き従っていたけれども、キリストに属するものとされてからは、内に響く主の御霊の声に耳を澄ますようになります。その時私たちキリスト者は本当の意味での自由を手にするのです。17節を新改訳2017は「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。」と宣言します。神の戒めを内におられる御霊によって心の耳でキャッチして、喜びをもって主に仕えるように変えられます。(エゼキエル36:27)神様は「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。」(ガラテヤ5:16~17a)と言われます。

Ⅲ.栄光から栄光へ主と同じ姿に

 こうして私たちはキリストとの間を隔てている顔おおい(ヴェール)が御霊によって除かれたので、主の栄光を鏡に映すように見ながら、栄光から栄光へと毎日の信仰生活が成長して、やがて主と同じ姿に変えられていくのです。この希望がある限り年をとっていくことに恐れやあせりは無くなり、むしろ楽しみとなり輝いて生きることができるようになるのです。今からは鏡に映る自分の姿を見る際には、救われて神の子どもとされたわたしを、神の栄光の現れであるキリストの姿を重ね合わせてじっと見るのです。そして鏡に映った自分がキリストに似た者として、足りないところは補っていただき、余分なところは削っていただきましょう。
 ゴールはキリストと同じ姿への変貌です。主と同じ姿に「変えられていく」(18)○ギメタモルフォーは、変貌山で主イエスが輝く姿に変えられた時に使われた同じ動詞です。(マタイ7:8)それはさなぎが蝶に変わっていくようです。信仰の成長に終わりはなく、キリストに似た者と変えられていくのです。しかしそれは自分の努力や頑張りではなく、「霊なる主の働きによる」(18)つまり聖霊なる神様のお働きなのです。御霊の声を敏感に察知する者になりましょう。