金言
「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方に在って私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」(エペソ人への手紙1:4)

説教題 「神の選びによって」
聖 書 エペソ人への手紙1章3~6節
説教者 栗本高仁師

 私たちはなぜ神様を賛美するのでしょうか。それは、神様が私たちを祝福してくださったからです。だからこそ、賛美を持って神様を祝福するのです(3節)。では、神様からの祝福とは何でしょうか。14節までに祝福の内容が述べられていますが、今日はその一つ目である「神の選び」について見ていきます。

1)どのような者として選ばれたのか?

 神様は私たちをどのような者として選ばれたのでしょうか。まず、「御前に聖なる、傷のない者にしようと」選んでくださいました(4節)。これは、すでに先週詳しく見たように、私たちが神様の祝福を取り継ぐための「聖徒=聖なる民」となるということです。それゆえに、来るべき時、すなわち最後に私たちが神様の前に立つ時、一切責められることがないのです。
 しかし、それは私たちが精鋭部隊となるようなイメージではありません。むしろ、神様は「ご自分の子にしようと」私たちを選んでくださいました(5節)。つまり、神様は私たちを「愛するわが子」として、家族関係に入れてくださったのです。イエス様だけが、神の「ひとり子(唯一の子)」ですが、そこに私たちを養子として迎えてくださるのです。何と愛に満ちあふれた「神の選び」でしょうか!

いつから選ばれたのか?

 この選びは、私たちがこの世で生を受けて、どのような人間であるのか見定めてからなされたものでしょうか。そうではなく、「世界の基が据えられる前から」なのです(4節)。パウロは、神様が「母の胎にあるときから私を選び出し」(ガラテヤ1:15)と言いましたが、さらに遡って天地創造の前から「私たちを選び」、「ご自分の子にしようと…あらかじめ定めておられ」たのです。
 当時も現代と同じように、異教の占いがなされていたようです。そのような文化の中で生きているエペソの信徒たちに、パウロはこのように確かな選びを語りました。私たちの将来も、占いにあらわされるような不安定なものではありません。天地万物を造られた方が、永遠の初めから私たちを選んでくださったゆえに、私たちの将来は確かなものとされているのです。

何を根拠に選ばれたのか?

 神様は何を根拠に私たちを選んでくださったのでしょうか。それは「キリストにあって」です。パウロは、この短い4節の中で似ている言葉を用いて、神の選びがイエス様を根拠にしてなされたということを語ります。
 この「〜にあって」という言葉は英語では「in〜」、つまり「〜のうちに」という意味です。私たちは、イエス様を信じるときに、イエス様の中に入れられ、イエス様と結び合わされます。このイエス様にあって、私たちは「祝福され」、「神の子、聖なる者として選ばれ」、「恵みが与えられ」(6節)ました。イエス様なしに神様の選びという祝福が与えられることはなかったのです。
 また、神様は私たちを選んでくださることを、嫌々なされたのではありません。むしろ、「みこころの良しとするところにしたがって」、「愛をもって」(5節)、定めてくださったのです。確かに、ひとり子を犠牲にするということは、父なる神様にとって御心を痛めることでしたが、神様は喜んで私たちを「神の子」としてくださったのです。

 神様は、イエス・キリストにあって、永遠の初めから、聖なる愛する子として、私たちを選んでくださいました。いかがでしょうか。私たちも、パウロが賛美したように、父なる神様を高らかにほめたたえるものとさせていただきましょう。