金言
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」(エペソ人への手紙2:8)

説教題 「すべては恵みによって」
聖 書 エペソ人への手紙2章1~10節
説教者 栗本高仁師

 私たちは幼い頃に繰り返し教えられたことは、大人になっても覚えている傾向があると思います。パウロは、エペソの信徒たちに向かって繰り返し「恵み」を語り続けます。今日の短い箇所の中で「あなたがたは恵みによって救われたのだ」(5節、8節)と何と同じことを2度も言います。つまり、教会のアイデンティティの一つは「恵みによって救われた民である」と言えるでしょう。なぜそのように言えるのでしょうか。

1)かつての状態〜罪の中に死んでいた

 「救われた」ということは、「救われる前の状態があった」ということを意味します。それをパウロは「かつて」の状態として述べています。私たちは、かつて「この世の流れに従って歩み」、「自分の肉の欲のままに生きていた」のです(2-3節)。その背後に働いているのは、「神の霊」ではなく、空中の権威を持つ「悪の霊」でした。私たち人間は、自分の思い通りに生きていると思っているかもしれませんが、実はこの霊の働き、すなわち「肉の欲」に従わざるを得ないのです。自由とは名ばかりで、そこには不自由さしかないのです(放蕩息子;ルカ15:13)。まさにそれは、以前確認したように「罪の奴隷状態」です。それゆえに、パウロは「私たちは、背き(と罪)の中に死んでいた者であった」というのです(1,5節)。このような状態から私たちは誰一人逃れることができません。

2)恵みのゆえに、死からいのちへ〜キリストとともに

 そのような抗うことができない人間の運命を、神は変えてくださり、私たちに「生きる道」を用意してくださいました。「死からいのちへの大転換」、これが私たちに与えられた「救い」です(5節)。では、どのようにしてそれを実現してくださったのでしょうか。それは、キリストの復活と昇天に「ともに与る(参与)」ことによってです(6節)。私たちがイエス様を信じるとき、私たちは「イエス様に結び合わされる(とどまる)」のです(ヨハネ15:5)。それゆえに「キリストのうちに働いた神の大能の力は、私たち信じる者に働く」(1:19-20)のです。 そして、今日最も覚えたいことは、なぜ神様がそれをなしてくださったかということです。それは「私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえ」(4節)です。それは「神の豊かなあわれみ」(4節)のゆえです。神様のそのお姿は、実に旧約聖書から一貫して貫かれていると言えます(出エジプト34:6-7)。だから「恵み」なのです。パウロは、そのことをさらに補強するように、「それはあなたがたから出たことではなく」(8節)、「行いによるのではありません」(9節)と付け加えます。「行いの悪さゆえに」救いを疑う私たちに、神様は「恵みに立つのだ」と語っておられるのではないでしょうか。

3)良い行いも神の恵みによって!

 キリストとともに「死からいのち」に移された私たちには、新しい使命が委ねられます。それは、神様からいただいた「この限りなく豊かな恵みを、来るべき世々に示す」(7節)ことです。罪を犯すことしかできなかった私たちでしたが、今やキリストにあって「罪に打ち勝つ」ことができるのです(キリストとともに天上に座ることによってあらゆる支配、権威、権力、主権の上に置かれる、1:21)。それは言い換えると、「良い行いに歩むように」なることです(10節)。しかし、ここでもパウロは徹底して「恵み」を強調します。なぜなら、「良い行い」は私たちが生み出すものではなく、神があらかじめ備えてくださるからです。私たちは、「良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」。「行い」という点においても、神様が私たちに与えてくださる「贈り物」であることを覚えさせていただきましょう。

 いかがでしょうか。今日もう一度、私たち教会が「神の恵みによって」立てられていることを覚えましょう。そして、「神の恵みによって」宣教へと遣わされてまいりましょう。