金言
「平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい」(エペソ人への手紙4:3)

説教題 「与えられた一致を保つ」
聖 書 エペソ人への手紙4章1~6節
説教者 栗本高仁師

 今日から手紙の後半部分に入ります。1−3章での「教会とは何か」ということを受け、4章からは「教会はどのように歩むべきか」という具体的な勧めがなされます。パウロは「私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい」(1節)と言います。

1)召しとは何か? 〜 一つとなっている

 まず、「召されたその召し」とは何でしょうか。「召される」とは、「呼ばれる、招かれる」ということですので、私たちを招いた方がおられます。そのお方とは、パウロが冒頭で賛美したように、「世界の基が据えられる前から、…私たちを選」んでくださった父なる神様です(1:4)。つまり、私たちの方が神様に近づいたのではなく、神様の方が私たちを選び、招待してくださったのです。しかも、その招待状は世界の基が据えられる前から発行されていたのです。

 神様が私たちを「召した」のには目的がありました。それは、私たち教会において、敵意によって分断されていた「二つのもの」が「一つ(新しい一人の人、一つのからだ)」となるためです(2:15,16)。だからこそ、パウロは「教会はキリストのからだ」(1:23)として一つであることを告白したのです。そして、今日の箇所でも「召の望みは一つ」「からだは一つ」「御霊は一つ」「主はひとり」「信仰は一つ」「バプテスマは一つ」「父はひとり」と、「一つ」を強調しています(4-6節)。しかも、最終的には「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、…一つに集められる」のです。私たち教会は、この宇宙大の一致の器として招かれています。この素晴らしい恵みを覚えましょう。

2)召しにふさわしく歩むとは? 〜 一致を保つ

 では、「その召しにふさわしく歩む」とはどういうことでしょうか。それは、「御霊による一致を熱心に保」つということです(3節後半)。ここでの大切なポイントは、「一致していきましょう」ではなく、「一致を保ちましょう」ということです。これは、僅かな違いのようで、大きな違いです。「召し」がそうであったように、「一致」も「私たちの業」ではなく、「神の業」です。そして、イエス様の十字架によって、すでに私たち教会は「一つにされて」います。それゆえに、パウロは「御霊(神の霊)による一致」と表現しているのです。

 ですから、私たちが「召しにふさわしく歩む」ために委ねられている働きは、すでに与えられた「一致を熱心に保つ」ことです。もし、私たちがこの点を見過ごしているとき、神の恵みを見失ってしまうのではないでしょうか。

3)そのために必要なことは?〜 謙遜、柔和、寛容、愛をもった忍耐

 では、その一致を保つためにはどうすればよいでしょうか。まず、「謙遜と柔和」です。もし私たちが自らを高くして、相手を必要としない生き方をするなら、この一致はすぐに崩れてしまうでしょう。だからこそ、パウロも「数々の試練の中で、謙遜のかぎりを尽くし」(使徒20:19)てきました。また、それは何よりもイエス様の生き方です。イエス様は、神でありながら、神の身分を捨てられないとは考えずに、「自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました」(ピリピ2:8)。

 また、「寛容」と「愛をもった忍耐」も必要です。それは、同じキリストのからだなるメンバーを受け入れ、互いに赦し合うことです(コロサイ3:13)。しかし、これもまた、まずキリストが私たちに寛容を示し、忍耐してくださったことを忘れてはなりません。

 そう考えていくと、「一致を保つ」ためには、イエス様が私にしてくださったことに「まず」目を向ける必要があるのではないでしょうか。そのとき初めて、私たちは隣人に対しても同じように振る舞うことができるのです。イエス様を通して、隣人を見ること、まさにこれが「平和の絆で結ばれること」(3節前半)ではないでしょうか。

 私たち教会は、すでにキリストにあって「一致」が与えられました。どうぞ、この一致を保ちながら一歩ずつ進んでまいりましょう。