金言
「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」(エペソ人への手紙4:16)

説教題 「一人ひとりが組み合わされて」
聖 書 エペソ人への手紙4章7~16節
説教者 栗本高仁師

 前回は、教会がその召しにふさわしく歩むとは、「与えられた一致を保つ」ことであると見てきました。その一致とは、全員が同じようになる、つまり「画一的な一致」なのでしょうか。

1)一人ひとりに特別な賜物が与えられている

 パウロは直前まで「一つ」ということを繰り返していましたが(4-6節)、7節で「しかし」と続けます。何が「しかし」なのでしょうか。それは、教会はキリストにあって確かに「一つ」ですが、「一人ひとり」に異なる賜物が与えられているという意味です(7節)。つまり、パウロは「画一的な一致ではない」と言います。「キリストの賜物の量りにしたがって」とあるように、私たちお互いは、それぞれ特別な存在として、特別な賜物が与えられているのです。それは、イエス様が「タラントのたとえ」で言われた通りです(マタイ25:14-30)。これは、優劣の差を言っているのではありません。確かに違いはあるでしょう。しかし、金子みすゞさんが言われたように「みんなちがって、みんないい」のです。
 この賜物は、イエス様が地上に降られて、十字架と復活を通られて、再び天上に昇られたことにより実現しました(8-10節)。イエス様は、最も低いところから、最も高いところまで行きめぐられたがゆえに、私たち一人ひとりはもれなく、この贈り物をいただくことができるのです。

2)一人ひとりが組み合わされて、一致が保たれる

 「一人ひとりは違う」にもかかわらず、「一致している」とは、一体どういうことでしょうか。エペソ書の前半で、パウロは何度も教会を「キリストのからだ」と表現してきました。そして、彼はこの「からだのイメージ」を使って、異なる賜物をもつ一人ひとりが一致している様を、表現するのです。「からだ全体」は、「各器官」が組み合わされて、調和のとれた動きをします。それと同じように、異なる器官である私たち一人ひとりも組み合わされて、「それぞれの部分がその分に応じて働く」ことによって、一致が保たれるのです(16節)。逆に皆が全く同じような人であるならば、「からだ全体」は機能不全に陥ります。それゆえに、教会にはあらゆる人々が立てられています(11節)。そして、すべての人が「必要不可欠な存在」なのです。私たちは、本当に互いを必要とし合っているだろうか、と問われるのではないでしょうか。「誰かを助ける」だけでなく、「誰かに助けてもらう」ことも大切にしていきましょう。

3)子どもから成熟した大人へと

 このようにして、一人ひとりが組み合わされていく時、「キリストのからだ」なる教会は成長して、愛のうちに建てられていきます(11,16節)。パウロはこの「成長」のことを、「子ども」から「成熟した大人」となることである、と言います。具体的には、どういった変化でしょうか。
 まず、「すぐに悪の教えの風に吹き回されたり、もてあそばれたりする」、いわゆる「子どもの状態」から脱します(14節)。これは、一人では難しいことですが、共同体の中でこそ可能なのです。次に、「愛をもって真理を語る」ことができます。これは簡単なことではありません。「ただ単に正論を言うこと」でもなければ、「何でも受け入れること」でもないからです。しかし、このような大人へと成熟していくために、神様は異なる賜物を持つ一人ひとりを備えておられるのです。
 このようなプロセスを通って、私たちは「かしらであるキリストに向かって成長」(15節)し、「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」(13節)のです。これが最終的なゴールです。私たちが正直に自らを省みるとき、まだ「子どもの部分」が残っていると言わざるを得ないかもしれません。しかし、このゴールに向かって、愛を持って真理を語りつつ成長させていただきましょう。