金言
「あなたがたは、彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているのです。」(エペソ人への手紙6:9)
説教題 「全ての者の上におられる主」
聖 書 エペソ人への手紙6章1~9節
説教者 栗本高仁師
私たちの人間関係の中には、夫婦や友人のような比較的対等な関係もあれば、親と子ども、上司(先輩)と部下(後輩)のような上下関係もあります。聖書はこのような秩序を壊そうとは言いません。では、私たちはどのようにこの関係を考えていけばよいのでしょうか。
1)キリストに目を向けて
夫婦関係の根底にある教えは「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」(21節)でした。実は、このことが夫婦関係にとどまらず、全ての人間関係の基礎であることがわかります。なぜそう言えるのでしょうか。まず、下の立場にいる者たちに対する勧告を見てみます。子どもたちに対しては、単に「両親に従いなさい」ではなく「主にあって」とあります(1節)。また、奴隷たちに対しては、単に「地上の主人に従いなさい」ではなく、「キリストに従うように」(5節)、また「人にではなく主に仕えるように」(7節)と言われます。しかし、上の立場にいる者たちにも同じことが言われます。父親たちに対しては、単に子どもたちを育てるのではなく「主の教育と訓戒によって」とあります(4節)。主人たちに対しても「奴隷に対して同じようにしなさい」と言われます(9節)。
私たちは、上の立場に立つことも、下の立場に立つこともありますが、どちらであっても主に目を向けることが大切です。その結果、「キリストのからだ」として、私たちは互いに従い合うことができるのではないでしょうか。
2)互いの関係が変えられていく
私たちが互いにキリストを意識するとき、互いの関係に少しずつ変化が見られるでしょう。まず、そこには「尊敬」が生まれてきます。聖書は初めから「あなたの父と母を敬え」(2節)と命じていますが、罪を持つ私たちは互いに傷を負っているがゆえに、そう簡単にはできないことを経験します。しかし、その関係の上におられる主を見上げる時、互いに尊重し合う道が開かれていくのではないでしょうか。
次に、「うわべだけの仕え方ではなく」、「恐れおののいて真心から」仕えることができます(5,6節)。なぜなら、私たちが誰かに仕える時は、「その人」というよりむしろ「主」を見るからです。それは上の立場の人にも言えることで、イエス様が弟子たちに仕えたように、下の立場の人に仕えることができるのです。その時、高圧的な態度で脅すことが相応しくないのは当然でしょう(9節)。つまり、どちらの立場であっても、「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕える」ようになるのです。何と平和な道が開かれているでしょうか。
3)約束と希望がある
そのような人間関係を築いていくことには、いつも約束と報いが伴います。私たちには希望があるのです。まず、私たちの親子関係に「尊敬」が生まれてくるとき、どうなるでしょうか。聖書が最初から約束しているように、「あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」のです(3節、申命記5:16)。それは、単なる長寿ということではありませんが、共同体における存続の鍵が「家族」にあることを教えられます。そのことは歴史を見るときに明らかでしょう。もちろん直接的には肉の家族のことですが、新約時代を生きる私たちにとって、教会は「神の家族」であります。それゆえに、教会なる私たちが互いに敬い合うことによって、幸せな日々が続く約束が与えられているのです。
社会において私たちの周りにはクリスチャンがほとんどいないために、どれだけ理想が語られても、理不尽を経験し、失望してしまうことがあるのではないでしょうか。確かに、この世では報われないことは多くあるでしょう。しかし、主は生きておられます。そして、主は人を差別することなく、必ずきちんと報いてくださるのです(8-9節)。イエス様は、終わりの時に「これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(25:40)と言ってくださいます。私たちの希望は天におられる主の御手にあることを覚えましょう。
私たちの上にはいつも主がおられることを覚えさせていただき、この一週間も遣わされようではありませんか。