金言
「ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。」(ペテロ第二3:14)
説教題 「主の日に向かって」
聖 書 ペテロ第二3:8~15
説教者 井上義実牧師
4月からの新年度もイースター、ペンテコステの恵みをいただいた。6月は総会時期であるが、続いての夏の働き、秋からの霊的な実りを求めていこう。
1)愛する者たちへの呼びかけ
この手紙は使徒ペテロの晩年近くの筆である。福音書に描かれるペテロは、単刀直入の素直な性格だが、荒削りであった。ペテロはイエス様が捕らえられた際に3度知らないと否み、復活のイエス様と出会って再び立ち上がった。それ以降は初代教会の中心として歩む。年令を重ねた2通の手紙を読むと信仰と人間性の成熟を感じる。新約聖書最後の7通の手紙は、特定の教会や人物に宛てられたのではなく広く読まれることを意識している。3章は「愛する者たち」(アガぺトス)と繰り返し呼び掛ける。ペテロにとって教会の兄弟姉妹は全て神様の愛によって愛する存在である。そこには、人間の愛をはるかに超えた神様の愛にある交わりがある。私たちも信仰によって、神様の愛をいただき互いに愛し合う存在である。
2)愛する者たちへの忍耐
神様は私たちに対して、様々な恵みに満ちたご性質を属しておられる御方である(属性:知恵、善、聖、愛、真実、恵み…)。この箇所には2回「忍耐」が出てくる(9、15節)。私たちがイエス様と出会うまでの罪と汚れは、余りに重く深いと言える。神様は私たちにあわれみ深く、慈しみに富んでおられる。忍耐は神様が属されている性質である。ローマ5:4~8にはこのことが説き明かされている。私たちの救いは神様のいつくしみ、忍耐、寛容によってなされた。この尊い救いに与っているのなら、私たちも忍耐をもって善を行うことが記されている(ローマ5:7)。神様の忍耐があって救われた私たちは、神様から与えられた忍耐を持ってこの世を歩む。
3)愛する者たちへの警告
ペテロはこの手紙を閉じようとする。ペテロが愛する信徒へと語る最後の言葉は終末への警告である。この警告は恐れを与える者ではなく、安心と励ましを意図している。
1)8-12節:再臨が遅くされているように見えるが、神様は救われる者が起こされるために忍耐されている。私たちは忍耐され時を遅くされている神様の御心に従って、宣教が開かれているこの時に救いを宣べ伝える。
2)13-15節:イエス様の再臨を待ち望んでいるべきである。再臨の前に自らの信仰姿勢を問い続ける。しみも傷もない者として心安んじて主の前に出ることができるように備えている。
この時代に流されると無く、正しい緊張感を持って信仰生活を送る。私たちそれぞれに与えられている使命を忠実に果たすことが大切である。
神様から与えられている家族は、家庭の中で血のつながった家族も、出会わせてくださった家族も、教会という主の群れにあって一つにされている大きな家族もある。神様の深い御心の中で生きる私たちは、人への批判、不平不満ではなく、人への評価、満足を持てるようになろう。そこに時間がかかったとしても神様の愛によって変えられ、生かされている者としての証しが表されていく。