金言
「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」(エペソ4:16)
説教題 「神の教会としての成長」
聖 書 エペソ人への手紙4章11~16節
説教者 栗本高仁師
月の最終週ですので、私たちの教会に与えられたビジョンについて御言葉から聞いていきたいと思います。今月は三つ目の「霊的成長」について見ていきます。私たちは「洗礼」をどのように捉えているでしょうか。「洗礼」はゴールではなく、むしろスタートです。そこから私たちはキリスト者として「成長」し続けるのです。
1)からだ全体の成長
「成長」という言葉を聞くとき、どのようなイメージを抱くでしょうか。おそらく、多くの方は個人的に「成長」していくことを考えるのではないでしょうか。今日開かれた聖書には何とあるでしょうか。
確かに、「私たちはみな、…一人の成熟した大人となって…」(13節)や、「私たちは…かしらであるキリストに向かって成長する」(14-15節)とあるので、それぞれ個人が成長していくことが言われています。しかし、それだけではありません。「キリストによって、からだ全体は、…成長して」(16節)とあるように、「からだ全体」すなわち「教会」という一つの共同体としての「成長」も語られています。そして、聖書の関心はこの「教会(共同体)の成長」の方にあると言えるでしょう。個人の成長は、あくまでも「キリストのからだの建て上げ」のためなのです。
それゆえに、私たちのビジョンに「神の教会として育てられる」とあるのではないでしょうか。
2)「愛」と「尊敬」に満ちた交わりへと
それでは「神の教会として成長する」とは、どういうことなのでしょうか。そのことを考えるためには、まず「教会とは何者なのか」ということを考える必要があります。私たちの教会は「神の教会」であり、オーナーは「神様」です。だからこそ、教会は「神の栄光を表す」場所なのです。つまり、「神の教会として成長する」ということは、この教会に「本物の神様がおられる」とわかるような場所となっていくことではないでしょうか。
どうすれば、そのような教会となれるでしょうか。「教会が成長するプロセス」について聖書は教えてくれています。からだ全体は、「あらゆる節々を支えとして組み合わされ」「つなぎ合わされ」「それぞれの部分がその分に応じて働く」ことによって成長するのです(16節)。これは「私一人」の問題ではどうにもなりません。お互いのことを理解し合い、そして愛をもって尊敬し合わなければできないことです。そこには痛みが伴うかもしれません。しかし、そのような試行錯誤の中で、「愛」と「尊敬」に満ちた交わりが育まれていくのではないでしょうか。そして、人々はそのような交わりを見て、「ここに神がおられる」と感じるのではないでしょうか。
3)「神のことば」が語られなければ
ここまで「神の教会として成長する」とはどういうことなのかを見てきました。最後に、その成長のためになくてはならない「原則」について考えます。
それは、「神のことばが語られる」ということです。11節には「キリストのからだを建て上げるために」、「キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました」と書かれています。ここに登場する人たちは「御言葉を語る者たち」です。「神のことば」なくして、教会の成長はありません。
互いに「愛をもって尊敬し合う」ことはそう簡単なことではありません。いつも、御言葉によって気付きが与えられなければなりません。だからこそ、私たちは交わりの中で、御言葉を分かち合ってきたいのです。「神のことば」が共有されていく時に、私たちは組み合わされ、結び合わされ、各自の分に応じて働き、一つのからだとして成長していくのではないでしょうか。