金言
「この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。」(ヨハネ1:51)

説教題 「主のわざを思い起こす」
聖 書 出エジプト記12章1~28節
説教者 栗本高仁師

 私たち人間は実に「忘れやすい」ものだと、思わされることがあります。もちろん、忘れるものは種々様々ですが、私たちにとって致命的なことは「神様」を忘れてしまうことです。実際にそのような現実がある中で、主は私たちに何と語っているでしょうか。

1)最後の災いでなされる印象深い出来事

 ファラオに対して、第十の災いの予告がなされた後、イスラエルの民は「その災いに備えて、何をするべきか」ということが告げられます。
 まず、「この月の十日に」、家族ごとに羊一匹を用意します(3節)。その羊は、傷がなく、一歳の雄でなければなりません(5節)。四日間、その羊を見守った後、その日の夕暮れに屠ります(6節)。そして、その羊の血を家々の二本の門柱と鴨居に塗るのです(7節)。最後に、その羊の肉を家族で分けて食べるのです(4,8節)。その時の調理方法、食べ方の作法、また服装まで、細かな指示があります(8-11節)。
 これらの準備が整った後、主はエジプトの地を巡り、エジプトのすべての長子を打ちます(12節)。イスラエルの民はどうなるでしょうか。主は、彼らの家の門柱と鴨居に塗られた血を見て、そこを通り過ぎるのです(13節)。
 最後の災いは、細かな指示があるとともに、羊を食べて、その血を塗るという特別なことであるがゆえに、イスラエルの民にとって非常に印象深い出来事となったことでしょう。

2)主の過ぎ越しを思い起こす

 しかし、これはこの時だけ行うことではありませんでした。主は、「その日を主への祭として祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない」(14節)と言われます。つまり、毎年この月の14日に「過ぎ越しの祭り」を行うのです。さらに、祭りはこの日にとどまりません。この後の七日間は、「種なしパンの祭り」を「永遠の掟として代々にわたって」守るように命じられます(15-20節)。
 それでは、何のためにこのような祭りを守るのでしょうか。それは、「この日を記念とする」ためです(14節)。つまり、「主が、この日にエジプトの地から導き出し、救ってくださったこと」を、イスラエルの民が「思い起こす」ためなのです(17,27節)。そのために、「過ぎ越しの祭り」も「種なしパンの祭り」も、毎年守るようにと命じられました。ある意味で、それはイスラエルの原点を思い起こす時でもあります。だからこそ、主は「この月をあなたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ」と言われました(2節)。
 まさに、これが「神様を忘れてしまいやすい人間」のために、主が備えてくださった「恵みの手段」です。

3)「主のみわざを思い起こす」ために

 それでは、今の私たちが「主のわざ」を思い起こすために、主が備えてくださった「祭り」とは何でしょうか。私たち教会は、1年間を通して、クリスマス、受難週、イースター、ペンテコステ、といった特別な礼拝をささげます。また、聖餐式は、まさに「過ぎ越しのいけにえ」としてイエスが十字架に架かられたことを記念して行います(1コリント11:23-25)。そして何よりも、日曜日ごとの礼拝は「イエスの復活」を記念して行われているのです。私たちは、このような多くの「恵みの手段」が与えられていることを覚えたいのです。
 また、船橋栄光教会では30周年記念の文集をまとめるために、それぞれの証を分かち合っています。このことも、一人ひとりに、特別に働いてくださった「主のわざを思い起こす」時ではないでしょうか。
 私たちは、「主が何をなしてくださったのか」ということをいつも思い起こしたいと思います。そして、その主が私たち一人ひとりと共に歩んでくださることを信じ、今週も遣わされていきましょう。