金言
「私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(1ヨハネ4:12)

説教題 「互いに愛し合う」
聖 書 ヨハネの手紙第一4章7~12節
説教者 栗本高仁師

 今月最終週の礼拝ですので、私たちの教会のビジョンについて見ていきます。今日は一つ目のビジョン(神の愛)の後半部「聖霊の助けによって互いに愛し合う」です。

1)まず神が愛してくださったので

 「互いに愛し合う」ことを見ていきますが、このビジョンの前半部(「イエス・キリストの十字架の愛を知る」)と切り離すことはできません。それは、「互いに愛し合うべきです」(11節)と言う前に、「神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら」という一言が付け加えられているためです。つまり、まず神が私たちを愛してくださったという事実があるのです(10節)。それゆえ、「私たちもまた互いに愛し合うべき」なのです。
 それでは「これほどまでに」と言われる「神の愛」はどのようなものでしょうか。実はそのことについては、前回(4月30日)アブラハムがひとり子イサクを献げようとする場面(創世記22章)から見ました。そして、神の愛とは、「ひとり子を惜しまない愛」であり、「神の献身」であることを教えられたのでした(10節)。それは、まさにイエス様ご自身が言われたように「至上の愛」なのです(ヨハネ15:13)。

2)愛を分かち合う管として

 このように考えると、「互いに愛し合う」とは、「神から出ている愛」(7節)を分かち合っていくことであると言えるのではないでしょうか。いわば、私たちは「神の愛を流す管」なのです。
 しかし、私たちの管は、しばしば詰まりを起こします。神はこの上ない愛を注いでくださっているはずなのに、その愛を他者に分け与えることができない、そのような事態に陥ることがあるのです。その原因は、様々にあるでしょう。しかし、一つ言えることは、私たちは自分の力ではその詰まりを解消することができないということです。
 だからこそ、私たちは「聖霊の助け」をいただかなければならないのです。イエス様は言われました。「父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます」と(ヨハネ14:16)。どうぞ、この助け主なる「聖霊の助けによって」、私たちも愛を分かち合っていきましょう。

3)私たちを通して、神の愛が完成する

 私たちが、神の愛を受けて、互いに愛し合うとき、一体何が起こるでしょうか。まず、「神が私たちのうちにとどまってくださ」います(12節)。つまり、愛し合っている私たちの交わりの中に、神を見ることができるのです。「いまだかつて神を見た者はいない」にもかかわらずです(12節前半)。実は、互いに愛し合うことで、すでに私たちは宣教しているのです。
 最後に驚くべきことが言われます。私たちが互いに愛し合うとき、何と「神の愛が完成する」のです(12節後半)。そこに、神がとどまってくださるためです。もちろん、神がキリストの十字架で表してくださった愛は、完璧なものでした。しかし、私たちが互いに愛し合う時にはじめて、この神の愛が完成するのです。つまり、神の愛が完成するためには、私たち人が、なくてはならない存在だということです。
 だからこそ、イエス様は、最後の晩餐の席で、何度も「互いに愛し合いなさい」(13:34, 15:12, 17)と言われたのではないでしょうか。この後、イエス様は、十字架に架かられ、復活し、昇天されて、世を去っていかれます。復活されたイエス様がずっと一緒にいてくださればどれほど良かったかと私たちは思うでしょう。しかし、イエス様は、この神の愛の完成を私たち教会に委ねられたのです。
 これほど素晴らしい使命をいただいている私たちであることを覚えつつ、神の愛を完成する担い手として、今週も遣わされていこうではないでしょうか。