金言
「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われるの救いを見なさい。…あなたがたはただ黙っていなさい」(出エジプト14:13-14)

説教題 「すべてのことに意味がある」
聖 書 出エジプト記13章17~14章14節
説教者 栗本高仁師

 私たちの人生は、いつも真っ直ぐな道のりではなく、むしろ回り道をさせられることの方が多いのではないでしょうか。それは、出エジプトをしたイスラエルの民も同じでした。

1)遠回りをさせる 〜 私たちの弱さを考慮して

 イスラエルの民はエジプトを旅立ち、彼らの神が与えようとしていた地(今のイスラエルの場所)へと向かっていました。しかし、「神は近道であっても、ペリシテ人の地への道(=主要な道)には導かれず」(17節)、「葦の海に向かう荒野の道に回らせ」ます(18節)。それは、主要な道を通ると、必ず戦いが起きてしまうためです。そうすると、イスラエルの民は「心変わりをして、エジプトに引き返してしまう」と神は考えたのです(17節)。このように、神はいつも私たちの弱さを理解した上で、ご計画を立ててくださるのです。
 そうであるとはいえ、荒野の道を進むことは容易ではありません。しかし、神がご計画を立ててくださったがゆえに、しっかりと責任をもって導いてくださいます。何と、昼も夜も進むことができるように、雲の柱・火の柱の中にいて、彼らを先導するのです(21-22節)。

2)窮地に追い込む 〜 神の栄光を現すために

 しかし、神がこのルートへと導いたのは、ただ彼らのためだけではありません。神は、この後バアル・ツェフォンの手前にある「海辺」に宿営するように命じます(1節)。しかし、この「荒野の道」を進み、「海辺」に宿営することは、とても危険な行為でした。前は海であるため、もし後ろから敵に囲まれると身動きが取れなくなるのです。まさに、奴隷を解放して後悔していたエジプト人たちにとって(5節)、それは絶好のチャンスだったのです。そのため、彼らは軍勢を率いて追いかけて来ます(6-7節)。
 しかし、このことはすべて神にとっては想定内であり、神の計画の中にあったことです(4節)。それでは、なぜこのような窮地に追い込むことをしたのでしょうか。それは、ご自身の栄光を現すためです。つまり、この世界を治めているのは、エジプトの神々ではなく、「わたし(イスラエルの神=主)なのだ」ということを知らしめるためでした。出エジプトの目的は、イスラエルを救うということだけでなく、この世界を造られた神であることを知らせるためだったのです。
 私たちも窮地に追い込まれることがあるかもしれません。しかし、そこにも神の計画があり、そのことを通して神は栄光を現そうとしているのではないでしょうか。

3)ただ黙って、神の救いを見る 〜 神への信頼

 それでは、窮地に追い込まれたイスラエルの民はどのような反応を示したでしょうか。彼らは神の計画を悟ることはできません。彼らは、主に向かって叫び、モーセに「荒野で死なせるために、あなたはわれわれを連れて来たのか」と不平を言います(10-12節)。これは、私たち人間の姿ではないでしょうか。いくら「すべてのことに意味がある」と言われても、私たちは目の前の状況に左右されてしまうのです。
 それではどうすればいいのでしょうか。モーセは言います。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」(13節)と。じたばたするのではなく、「あなたがたは、ただ黙っていなさい」(14節)と。ある意味で、私たちがすることは何もありません。なぜなら、神がご計画のうちに、私たちを導いておられるからです。ただし、私たちがすることがあるとすれば、それは「静かにして、神がなされることを見る」ということだけです。まさに、それが「信頼する」という意味なのです(イザヤ30:15)。

 神は、私たちの人生において、あえて回り道させることがあるでしょう。しかし、「すべてのことには意味があり」ます。だからこそ、私たちは「落ち着いて、静かにして、信頼しよう」ではないでしょうか。その時に、私たちは「救われ」「力を得る」ことができるのです。