金言
「イスラエルは、主がエジプトに行われた、この大いなる御力を見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。」(出エジプト14:31)

説教題 「完全な主の守り」
聖 書 出エジプト記14章15~31節
説教者 栗本高仁師

 「窮地に追い込まれたとき、あなたにとって最も頼りになる存在は何でしょうか」という問いに、私たちはどう答えるでしょうか。
 まさに、イスラエルの民は、窮地に追い込まれていました(前は「葦の海」、後ろは「エジプト軍」)。その時に、モーセが語ったことは「主(=イスラエルの神)に信頼しなさい」ということでした。この方は私たちにとって、本当に最も頼りになるお方なのでしょうか。

1)道を切り拓き、盾となってくださる神

 この時、主はモーセに対して「さあ、イスラエルの子らに前進するように言え」(15節)と命じます。もちろん、そのまま前進すれば海で溺れてしまうだけですが、モーセが杖を上げ、手を伸ばすと、何と海が分かれて、乾いた道ができる、と言うのです(16節)。主は、モーセが海を分けるようにと命じましたが、実際には、主が「一晩中、強い東風で海を押し戻して、海を分けたのです(21節)。つまり、モーセとともに働いて、主が前方に道を切り拓いたのです。
 前方だけではありません。ここまで、イスラエルの民を導くために彼らの前を進んでおられた主が、彼らの後方に移動します(19節)。なぜ、彼らの後ろに行かれたのでしょうか。それは、エジプト陣営との間に入って「防御壁」となるためです。主が救いを成し遂げるまで、何と主ご自身が盾となってくださったのです(20節)。
 私たちの神様は、前の道を切り拓き、かつ後ろに立って守ってくださいます。

2)被造物を用いて守られる神

 しかし、神様の守りは、後ろだけではありません。主が強い東風で海を戻し続けたゆえに、「水は彼らのために右も左も壁にな」ります(22節)。水自体が壁になって、海で溺れないように彼らを守ったのです。まさに、全地を治める神のわざです。すべての被造物は、神の仰せのままに動くのです。
 ただし、海の中を進めるのは、イスラエルの民だけではありません。エジプト人も全軍を率いて、海の中に入って来ます(23節)。しかし、その間には主がおられます。主はエジプトの陣営を見下ろし、彼らの陣営を混乱に陥れます(24-25節)。やはり、イスラエルの後方は鉄壁だったのです。そこでようやく、エジプト人は、「主が彼らのために…戦っている」ことに気がつき、「イスラエルの前から逃げよう」と言います(25節)。しかし、時すでに遅しです。主はモーセにもう一度、「手を海に向けて伸ばしなさい」と命じます(26節)。すると、海は元の状態に戻り、エジプト人たちはそのただ中に投げ込まれてしまいます(27節)。
 イスラエルの民が特別に行ったことは何もありません。そこには「完全な主の守り」があったのです。まさに、「神はわれらの避け所また力なり。なやめるときの最(いと)ちかき助なり」(詩篇46:1[文語訳])なのです。

3)完全な主の守りを通して現される「大いなる御力」

 こうして、「今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」(13節)と言われたように、主は「イスラエルをエジプト人の手から救われ」ました(30節)。また、それは主が最初にモーセに現れた時に与えられた約束(3:8)の成就でもあります。彼らは、その救いの中に現された「大いなる御力を見た」のです(31節)
 私たち一人ひとりも「今日行われる主の救い」を見るように招かれています。今、「私」が見なければならない、その救いとは一体何でしょうか。私たちの人生の中では、戦いや試練はつきものです。しかし、イスラエルの民を完全に守られた神は、私たち一人ひとりのことも完全に守ってくださいます。それゆえ、私たちは恐れる必要はないのです。むしろ、このような窮地に追い込まれた時にこそ、主は「大いなる御力」を私たちに見せようとされているのではないでしょうか。