金言
「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。」(ルカ1:13)

説教題 「あなたの願いが聞き入れられた」
聖 書 ルカの福音書1章5~23節
説教者 栗本高仁師

 私たちにとって「正確に評価してもらえる」ということは重要なことである思います。イエス様のご降誕に先立ち、バプテスマのヨハネが誕生しますが、彼の両親であるザカリヤとエリサベツはそのような意味で苦しみます。

1)しかし…という現実

 彼らは、二人とも祭司の家系でした(5節)。祭司長や律法学者、パリサイ人といった宗教的指導者は、イエス様から度々非難を受けます。しかし、この二人は「神の前に正しい人」であり(6節)、神の教えを忠実に守っていたのです。まさに「祭司」の一家として相応しい人物でありました。「しかし、彼らには子がいなかった」(7節)と続きます。妻のエリサベツが不妊であったためです。古代の文化においては、子どもが与えられないことは不名誉なことであったそうです。おそらく何度も祈ったことでしょう。しかし、それは叶えられず、二人ともすでに年老いていました(7節)。
 聖書を見てわかることは、「正しい人」であっても「しかし…という現実」に直面することがある、ということです。それは私たちも経験するところではないでしょうか。

2)覚えておられる主

 そのような状況の中で、驚くべきことが起こります。ザカリヤが属するアビヤ組が、祭司の務めをする順番となりました。一つ目の驚くべきことは、「神殿に入って香をたく人」を決めるための「くじ」に当たったということです。当時、祭司は約2万人いて、約千人ずつの24組に分けられていたそうです。ある人は「この役にあたることができるのは、一生に一度あるかないか」とまで言うほどです。
 次に、神殿の中で香をたいていると、何と彼の前に「主の使い」が現れ(11節)、「あなたの願いが聞き入れられた」と言われたのです(13節)。神殿で香をたくことは、単なる儀式ではありません。「外では大勢の民がみな祈っていた」(10節)とあるように、香の煙が天に上るように、民の祈りが神に聞き届けられるのです(詩篇141:2)。まさに、二人の祈りは聞き届けられました。ザカリヤ(=主は覚えたもう)の名の通り、主は彼らの正しさをきちんと見ておられ、また彼らの願いを覚えておられました。
 「しかし…という現実」の中で、長い間祈りが聞かれないことがあるかもしれません。しかし、それは「主が私たちを忘れている(正確に評価してもらえていない)」ことを意味しません。間違いなく、主は私たちのことを見て、私たちを覚えておられるのです。

3)私たちの願いを超える「良い知らせ」

 神様の計画は、彼らが考えていた以上のものでした。単に二人にとっての「喜びとなる」だけではありません。「多くの人もその誕生を喜びます」(14節)。なぜなら、彼が「聖霊の力に満たされて」、「主のために、整えられた民を用意する」からです(15-17節)。彼こそ「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ」(イザヤ40:3)と預言されていた「救い主(メシア)の道を備える」人物だったのです。だからこそ、ヨハネの誕生は、救い主イエスのご降誕に先立ち記されているのです。ザカリヤはこのような「良い知らせ」(19節)を聞くことができたのでした。
 私たちはもう一つのことを教えられます。それは、「私が願っている通りの形で祈りが答えられなくとも、失望する必要はない」ということです。なぜなら、神は「私が願っている以上の」素晴らしいご計画をお持ちだからです。

 ザカリヤはあまりにも大きな幻を見たがために、一度疑ってしまいました(18節)。私たちも疑うことはあるでしょう。しかし、その時が来れば実現するのです。だからこそ、忍耐を持って、疑わないで待つお互いとさせていただきましょう。