金言
「見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは何もありません。」(ルカ1:36-37)

説教題 「神にとって不可能なことはない」
聖 書 ルカの福音書1章26~38節
説教者 栗本高仁師

 何事においても順番というのは大切です。クリスマスにおける救い主の誕生も同様です。歴史家であったルカは、その点に重きをおいて救い主の降誕物語を記します。

1)ヨハネとイエス誕生の類似

 救い主に先立って「バプテスマのヨハネ」の誕生が御使いによって告げられました(1:5-23)。その約束の通り「しばらくして、妻エリサベツは身ごも」ります(1:24-25)。「その六か月目に」というところから、今日の話は始まります。この一言を入れることによって、ルカは「マリアに対するイエスの受胎告知」は「ザカリヤに対するヨハネ誕生の告知」とつながっていることを表現しています。
 しかし、その二つは単につながっているのではありません。二つの物語を比較すると、興味深いことに両者は非常に似通っていることが分かります。御使いガブリエルが神の元から遣わされて告知を受けたこと(1:19, 1:26)、初めの告知を受けて困惑したこと(1:12, 1:29)、そのような彼らに対して「恐れることはありません、ザカリア/マリア」と言われたこと(1:13, 1:30)、男の子が産まれ「その子は大いなる者となる」こと(1:13-15, 1:31-32)と。これほどまでに同じ出来事が繰り返されているのは驚きではないでしょうか。このことは一体何を意味しているのでしょうか。

2)受け入れられない出来事

 イエスの誕生は特別でした。なぜなら、それは「真の神」である方が「真の人」となる出来事であったためです。そのためには一般的な出産による誕生ではいけません。それでは「真の神」であることが不確かになります。一方で、天から降ってくるような人を介さない誕生でもいけません。それでは「真の人」ではなくなってしまいます。それゆえに、使徒信条で告白されるように「主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリアより生まれ」なければならなかったのです(27, 35節)。しかし、まだ結婚をしていなかったマリアにとって、この御使いのことばは到底受け入れられるものではありませんでした(34節)。クリスマスとは、まさに私たちにとっては受け入れ難いほどに、普通ではない驚くべき出来事であるのです。

3)見事な神のご采配

 一度では信じられないマリアに対して、御使いは、この誕生が聖霊の力によること(=聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます)を伝えます(35節)。しかし、御使いはただことばで言っただけではありません。そのことばが真実であることを証しする「先例」を見せるのです。まさにそれが「エリサベツ」でした(36節)。普通では到底あり得ない状況で、男の子の誕生を告知されたザカリヤ、そして実際にお腹を大きくしていたエリサベツの話は、この時の彼女にとって非常に大きな出来事でした。まさにそれが、非常に似ている「イエス誕生の告知」と「ヨハネ誕生の告知」が並べられている一つの理由と言えるます。この神のご采配ゆえに、彼女は「神にとって不可能なことは何もありません」という御言葉を信じ、イエスの受胎告知を受け入れることができたのです(38節)。
 「神にとって不可能なことはない」という御言葉を聞いても、心の底から信じることができない私たちかもしれません。しかし、神様はそのような私たちがこの御言葉を信じることができるように、さまざまに配慮してくださるのです。「見なさい」と言って、実際の神の力の現れを見せてくださるのです。しかし、私たちが最も覚えなければいけないことは、神が人となってくださったこの「クリスマスの出来事」こそが「神にとって不可能なことはない」を確信させる究極の「先例」である、ということではないでしょうか。