金言
「彼らに三日目のために準備させよ。三日目に、主が民全体の目の前でシナイ山に降りて行くからである。」(出エジプト19:11)
説教題 「主の前に出るために」
聖 書 出エジプト記19章9~25節
説教者 栗本高仁師
私たちが誰かとお会いするとき、その場に相応しい格好や姿勢があることを知っています。それでは、私たちが神様の前に出るときはどうでしょうか。
1)主の前に出るために整えられる
主は、主の民であるイスラエルが「宝となる」ために、いよいよ律法を与えようとされます。そこで、主はモーセに対して「わたしは濃い雲の中にあって、あなたに臨む」(9節前半)と言います。主は直接モーセと語って、律法を授けてくださるというのです。それでは、その間民はどうしているのでしょうか。主がモーセと語っている様子を、民は聞くのです(9節後半)。
しかし、民たちはそのままの姿で主の前に出ることはゆるされませんでした。主は自ら「三日目に、…民全体の目の前でシナイ山に降りて行く」(11節)と言われます。そのために「民に準備をさせなさい」とモーセに命じるのです。どのような準備でしょうか。まず、1日目と2日目に「彼らを聖別して、自分たちの衣服を洗わせ」ます(10節)。ここで重要なことは「聖別する」ということです。それは「特別なものとして取り分ける」という意味があります。つまり、この衣服を洗うということは、単に汚れているために綺麗にするという意味だけでなく、神の前に特別なものとなるということが意図されているのです。
なぜ、彼らは主の前に出るために、そのように「聖別される」必要があるのでしょうか。それは、彼らの神が全地を治める(5節)「特別な方(=聖なる方)」であるためです。そのようなお方が、毎週私たちを礼拝へと招いておられます。彼らがこのような特別なお方の前に出るために整えられたように、私たちも整えられていく必要があるのではないでしょうか。
2)主の前で恐れおののく
主はモーセにもう一つ準備すべきことを語ります。それは「山の周囲に境を設ける」ということです(12節)。その理由は「彼らが山に登り、触れて、殺されてしまわないようにする」ためでした(12-13節)。彼らは三日目のために準備をしますが、それでもこのお方に近づくことは危険だということです。それほどまでに、主は特別なお方なのです。
その後、モーセは山を下りて、主の言われた通りに民に準備をさせます(14節)。そして、三日目の朝、主がいよいと山に降りて来られます。山の上には雲があり、山全体は火のゆえに煙が立ちこめ、激しく震えていました(16-18節)。民たちは、この光景を見て「震え上がった」のです(16節後半)。
このところを見ると、私たちは驚きと恐れを抱くかもしれません。しかし、私たちが聖なる方である「主の前に出る」とき、神のその力強さのゆえに、ただ恐れおののくしかないのではないでしょうか。私たちは、もう一度主の前に正しい恐れを持っているだろうかと問われるのです。
3)恐れるべき主は良いお方である
ここまでを見ると、ただただ恐怖しか覚えないかもしれません。しかし、この後見ていくともう一つのことがわかってきます。主はモーセを呼ばれたので、山の頂に登っていきます(20節)。すると、「もう一度民のところに下っていって、特別な祭司も含めて、この山に近づかないように警告しなさい」と言われます(21節)。モーセは境を設けているので心配ないと考えました。しかし、主はもう一度「下りて行け」(24節)と命じるのです。なぜそのようなことをされたのでしょうか。それは、何度も警告を与えることで、民たちを守るためです。つまり、主は確かに恐れるべきお方ではありますが、私たちを守ろうとする良いお方であるのです。
そして、良いお方である神は、今や私たちが神に近づくことを、イエス・キリストのゆえに実現してくださったのです。今は直接主を見ることはできません。しかし、やがて来たるべきときに、私たちは主の前に立つことができます。その驚くべき恵みが与えられていることを今日も覚えさせていただきましょう。