金言
「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。」(出エジプト20:2)

説教題 「十戒の本質とは」
聖 書 出エジプト記20章1~17節
説教者 栗本高仁師

  出エジプト記の後半部分「律法」に入り、その律法が与えられる目的が語られ(19:1-6)、主の前に出る整えがなされ(19:9-25)、いよいよ「律法」の内容が語られていきます。まず初めに最も基本的なものが示されます。それが「十戒(十のことば)」です。

1)契約の中の律法

 律法と聞くと、倫理的・道徳的な基準であると考えてしまうかもしれません。しかし、律法はあくまでも「契約」を前提として授けられたものです(19:5)。つまり、「律法」の本質を理解するためには、「契約」という観点から考えなければなりません。それでは、イスラエルの神「主」と「イスラエル」が結ぶ契約とはどのようなものなのでしょうか。
 主は十戒の中で、まず「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である」(2節)と語り、自己紹介をされます。しかし、単なる自己紹介ではなく、「主」と「イスラエル」の関係性を明らかにされます。つまり、この契約は主がイスラエルを奴隷から救い出すというものではないのです。すでに主がイスラエルを救い出し、その上でこれからも「あなたの神、主」として、「あなたを守り続ける」という契約です。ここに、十戒、そして律法の本質があります。それは、これを破ったら罰を与えるというものでは決してありません。そうではなく「神と共に歩む歩き方」、または「神の愛にとどまる歩き方」と言えるでしょう。この愛に満ちた、良いお方と一緒に生きていく契約へと私たちは招かれているのです。

2)主のみを神とする

 私たちが「神と共に歩む」ためにはどうすれば良いのでしょうか。そのことが、十戒の中で教えられています。まず、「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない」(3節)と言われます。「神と共に歩む」ということは、色々な神々のリストの一つに入れるということではなく、「その方とだけ」歩むことを意味します。契約は信頼関係の上に成り立っています。神が私たちを選び、愛してくださったように、私たちも神だけを愛し、信頼していくのです。これが最も根本的なことです。その上で、第二戒から第四戒までの神との関係に対する教えが続きます。「自分のために偶像を造る」(4節)ことは、「主」を自分が勝手にイメージした神にしてしまうことであり、「主の名をみだりに口にする」(7節)ことも自分に都合よく主の名を持ち出すことです。そして、第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なるものとする」(8節)は、主が私たちを守ってくださることに信頼して、仕事をストップすることです。このようにみていくと、「ほかの神」の中で一番警戒しなければならないのは「自分」であるということです(創世記3:5)。主は「わたしだけに信頼しなさい」と招かれています。

3)神と人を愛する

 十戒の後半(第五戒以降)は、あらゆる人との関係について書かれています。「父と母を敬う」ことから始まり、「殺すな」「姦淫するな」「盗むな」「偽りの証言をするな」「隣人のものを欲しがるな」と続きます。前半と後半の境を注意深く見ると、興味深いことがわかります。まず第四戒を見ると、主との関係とともに隣人との関係についても言及されています。「あなた」が安息日を覚えるだけでなく、「息子、娘、男奴隷、女奴隷、家畜、寄留者」も安息日を守れるように配慮しなさい(10節)と。また、第五戒では、父と母を敬うとき、「主が与えてくださる地で長く生きられる」とあります(12節)。つまり、「神と共に歩むこと」と「隣人を大切にすること」は非常に密接なのです。だからこそ、イエス様は「神を愛すること」と「隣人を愛すること」を同様に重んじられたのです(マルコ12:28-34)。

 このように私たちが「神との関係」、そして「人との関係」が健やかになっていくときに、私たちは本当の意味で「自由」を経験するのではないでしょうか。そのために、神は「あなたを罪という奴隷から導き出してくださった」のです。この方と共に歩く、自由への道を私たちも歩ませていただきましょう。