金言
「それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」(マルコ4:31-32)

説教題 「神の国の成長」
聖 書 マルコの福音書4章26~32節
説教者 栗本高仁師

 今から30年前の1994年2月11日、船橋栄光教会の開所式が行われました。30年の歩みのうちに、主の守りがあったことを心から感謝します。しかし、それは単に組織が30年守られたということではないでしょう。「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)とあるように、ここに神の国(天の御国)が建てられ、続いているのです。

1)みことばから始まる

 イエスは多くのたとえ話を用いて「神の国」について教えています。ここでは二つのたとえが出てきますが、いずれも「種が蒔かれて成長する植物/作物」に喩えられています。
 まず私たちが覚えたいことは、「神の国」は「種が蒔かれる」ところから始まるということです。「種」とは何でしょうか。この箇所の中には直接的な言及はありませんが、4章の冒頭を見ると同じような「種蒔きのたとえ」があります。しかも、そこにはイエスの解説があるのです(4:13-19)。その初めの部分を見ると「種蒔く人は、みことばを蒔くのです」(14節)とあります。つまり、「神のことば」が語られるところに、神の国は始まっていくのです。それは、私たちの教会も同様です。まさに、「神のことばは生きていて、力がある」(ヘブル4:12)のです。だからこそ、私たちは語られる「みことば」を聞き、「みことば」を語り続けていきたいのです。

2)神の働きに期待する

 それでは、始まった神の国はどのように成長していくのでしょうか。
 一つ目のたとえでは(26-29節)、種が蒔かれ、芽を出し、成長することは知っていても、どのようにしてそうなるのかは知らないということが言われます(27節)。もちろんその種が成長するための助け(水や肥料など)を与えることはしても、あとは自然に、苗ができ、穂ができ、実を結びます(28節)。「神の国」はこのようなものだと言われますが、それは神の国が「ひとりでに」成長するから、私たちは何もする必要はないという意味ではないでしょう。
 ここでイエス様が私たちに教えていることは、神の国は「私たちの思いや力を超えて発展していく」ということです。たとえ私たちの手を離れ、私たちの目には見えないところでも、「神の働き」があるのです。私たちはこの「神の力」を過小評価していないでしょうか。私たちの信仰生活の醍醐味は、まさに私たちの手の届き得ないところで、神の働きを体験することです。私たちの教会でこれから起こる様々な出来事に期待していきましょう。

3)小さなところから成長する希望

 もう一つのたとえは、「神の国」は「からし種のようなもの」ということです(31節)。「からし種」は「地の上のどんな種よりも小さい」とあるように、聖書の中でも「小ささ」を強調するときによく引き合いに出されます。しかし、ここでは「神の国」がとても小さなものであることを言いたいのではありません。からし種は蒔かれるとき非常に小さいのですが、「蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくな」ります(32節)。つまり、「神の国」とは始まりは非常に小さくとも、終わりは非常に大きなものとなるということです。
 事実、神の国はイエスを中心とした「12人」という小さな集団から始まり、今や全世界に拡大しています。イエスはまだ始まったばかりのときに、この神のビジョンを語ったのです。私たちの歩みも「小さな」ものかもしれません。しかし、私たちは「小さい」ということに悲観する必要はないのです。いつも「小さい」ところから始まっていき、からし種のように大きくなるという「希望」が与えられています。だからこそ、私たちはこの小さな一歩一歩を大切にしながら歩ませていただきたいのです。  船橋の地に建てられた「神の国」は、確かに「神の力」によって成長していきます。私たちはこの信仰に立ち続けたいのです。