金言
「わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである」(ヨハネの黙示録3:8)

説教題 「開かれた門」
聖書   ヨハネの黙示録3章7−13節
説教者  小岩裕一師

 フィラデルフィアの教会は、「すこしばかりの力」しかありませんでした。日本のクリスチャン人口は1%以下で、教会も少子高齢化などの厳しい状況です。

1)門を開かれる主イエス

 「聖なる方」、「真実な方」、「ダビデの鍵を持っている方」は主イエスです。鍵を持つ者が門の開閉の権限があります(イザヤ22・22)。「彼が開くと、だれも閉じることがなく、彼が閉じると、だれも開くことがない」。主イエスは、神の権威を持っておられ、必ず約束を成就してくださいます。「見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた」(8)。

2)弱小の教会への主イエスの激励

 「あなたには少しばかりの力があって」(8)とあるように、フィラデルフィアの教会の力は「非力」です。「わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった」。主イエスを告白し」主イエスの言葉を信じ守りました。
 「開かれた門」とは ⑴「人生の門」人生の困難な問題を解決するには、非力です。人生の門戸を開いてくださるのは、主イエスの力です。⑵「宣教の門」当時、同胞ユダヤ人の迫害があり、ローマ帝国の迫害が始まろうとしていました。今も、主イエスが宣教の門を開きます。⑶「天の御国の門」主イエスは教会に「鍵」を託されました(マタイ16・19)。困難な時代であるからこそ、信仰の目は、新天新地の永遠の神の国まで見通しているのです。この教会の中には「サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しているが、実はそうではなく、噓を言っている者たち」がいました(9)。本物の信仰者かどうかを判断する必要があります。それを証明するのは、主イエスご自身です。主イエスに愛されていると、批判者や迫害者が感服するしかありません(9)。今も、キリスト教会の「健全性」を冷静に判断する必要があります。

3)再臨の主イエスを仰ぐ

 「わたしはすぐに来る」(1)。主イエス・キリストの再臨を「来てください」と待ち望みます(1コリント16・22)。「あなたは、自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい」。「自分の冠」とは「義の栄冠」で、キリストによる救いです(2テモテ4・8)。
 「勝利を得る者」とは「神の神殿の柱」のように不動です。また、「わたしは彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る。新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記す」(12)とは、私たちが神の約束された永遠の国に入ることです。
フィアデルフィアの教会は、「少しばかりの力」しかありませんでしたが、「あなたは忍耐についてのわたしのことばを守った」です(8)(参照2テサロニケ3・5)。「地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る」。「私のことばを守った」教会に、主イエスは「わたしもあなたを守る」と約束しています(ルカ21・18)。
 「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい」。わたしたちは主の警告と祝福の言葉を聞き、再確認することが大切です。

まとめ
 主イエスは、小さい教会を見過ごしにすることは決してありません。厳しい現実にあるにも関わらず、最も希望と励ましに満ちた手紙です。船橋栄光教会の30周年の主への感謝と共に、この先に厳しさがあったとしても、私たちに先立って、門を開いてくださる主イエス・キリストを仰いで、信仰と確信を持って、進んで行きましょう。