金言
「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。」(Ⅰテサロニケ2:4)

説教題 「福音を委ねられた者として」
聖 書 Ⅰテサロニケ2:1~12
説教者 矢島志朗勧士
 
 テサロニケ教会は、パウロが第二回伝道旅行(紀元50~52年頃)において伝道をしてできた教会である。テサロニケからベレヤ、アテネへと伝道が進む中で、テサロニケの人たちのことが気にかかり、弟子のテモテを派遣し、コリントにおいてその報告を受けた。彼らの信仰と愛と忍耐、主に倣って信者の模範となっていることを聞いて喜んだが、気にかかる問題もいくつかあった。そこで彼らを励まし、問題に対する指導をするために、この手紙を書いた。

1)委ねられた福音(1-4)

 パウロはテサロニケに来る前に、ピリピにいた。一人の女性ルデヤと家族が救われ、占いの霊に取りつかれた女性の解放もあった。女性の主人たちは占いで得ていた利益が得られなくなったことでパウロたちを訴え、長官たちはむちで打って牢に入れてしまう。しかし神様に祈り賛美をしている時に、牢の鎖が解けた。この出来事が、牢を見張っていた看守と家族の救いへとつながった。
 このような不思議な体験をした後に、パウロはテサロニケを訪れた。宣教の言葉に納得して従う者たちが起こされたが、妬みにかられたユダヤ人たちが、ならず者たちを集めて暴動を起こした。パウロたちが次に移動したベレヤまで追ってきて、群衆を扇動して騒ぎを起こした。
パウロはこのような苦闘の中でも、福音をまっすぐに語った。宣教の中心は、常にキリストの十字架と復活であった。そのように語ることができた根拠には。彼の福音理解と自己理解があった。熱心なユダヤ教徒、パリサイ人のエリート、キリスト教徒の迫害者であったパウロが、キリストに出会って救われ、変えられた。彼はその喜びを「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」(ピリピ1:21)と語り、以前は得であると思っていた立場や能力を、損と思うようになったと語る(同3:7)。キリストとその復活の力を知っていくことが、他の何物にも代えられない価値あることだと告白して生きる者となった。苦しみのただ中で余りある喜びに生きていた。
 そして、この福音を伝えるつとめを委ねられているのだという自己理解があった。当時のギリシアには、巡回して教える哲学者や宗教家がいて、中にはかなりいい加減な者もいた。パウロは自分がそのような者ではなく、神に任命された者であることを主張した。
私たちは福音をどのように理解し、その喜びを味わっているだろうか。この福音に生かされて、伝えることを委ねられた者とされていることを自覚したい。

2)福音を委ねられた者として(5-12)

 パウロの「福音を委ねられた者」としての自覚は、次のような態度、行動を生み出していった。

①神に喜んでいただく
 人を喜ばせるのではない。つまり表面的な人の評価や評判、受けの良さといったものにふりまわされるのではなく、神様に喜んでいただきたいという動機で福音を語った。「へつらい」(5)についてある解説では、「いんちきで、人の本当の意図を隠すもの」と述べる。人にへつらったり、何か利益を得ようとするような動機では語らないという行動が、福音を委ねられているという自覚から生まれたのである。
②やさしく、母のように、いのちを与えるほど
 パウロは、キリストの使徒としての権威を主張しなかった。「あなたがたの間では幼子になりました」(7)は、「優しくなりました」とも訳される。母のようにテサロニケの人たちをいとおしく思い、神の福音だけでなく自分自身のいのちまで喜んで与えたいと思っていると語り、彼らに負担をかけないように働きつつ福音を伝えた。
③父のように、勧め、励まし、命じた
 同時にパウロは父のように、テサロニケの人たちが神様の召しにふさわしく歩めるように勧め、励まし、厳かに命じた。愛にあふれつつも、キリスト者の生き方の基準を下げることはなかった。異教の力が強いテサロニケにおいて、流されずにしっかりと歩むように一人一人を励ますことが、必要であったのだろう。

 パウロの言葉を通して表されているのは福音の喜びであり、わたしたち一人一人に注がれている神様の愛であり、召しにふさわしく生きてほしいという神様の願いである。私たちは福音の喜びにあずかりつつ、福音を委ねられたたものとして隣人を愛し、伝えていくように召されている。この召しに応えて生きていきたい。