金言
「彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いからである。」(出エジプト22:27)
説教題 「わたしは情け深いから」
聖 書 出エジプト記22章21~25節
説教者 栗本高仁師
十戒を基本とする律法の本質とは「神と共に生きる歩き方」でした(2024年1月21日メッセージ)。しかし、私たちが神と一緒に歩いていくためには、ただそのマニュアルを守ればいいということではありません。
1)神の心を知ること
大切なことは、その中に表されている神の心を知ることです。律法を表面的に見ると、現代の私たちには現実離れしている思われるかもしれませんが、この一つ一つに神の心が表れているのです。
実はここまで見てきた中でもすでに表されていました。まず、奴隷に対してどのように関わるべきかを命じて、彼らの人権を尊重されたのです(再出発の道を与えること/家族として迎え入れること)(21:1-11)。次に、殺人・傷害に対する取り決めをすることで、人のいのちが重んじられるようにと語ります(21:12-36)。その後、盗みに関することが命じられます(22:1-17)。ここでは、盗みに対しては「必ず償いをしなければならない」(22:1,3,4,5,7,9,12,14)と言われます。盗みも、やはり人のいのちを削る行為です。だからこそ「盗んではならない」(第8戒)とあるのです。ここにも人のいのちを重んじる神の心が現れています。
2)情け深い神の心をもって
そのような神様の心が、今日の箇所に一言で表されています。それが「わたしは情け深い」(27節)です。これは、神様のご性質そのものです。
それでは「情け深い」とはどういうことでしょうか。今日読んでいただいたところでは、「寄留者」(21-24節)また「貧しい人」(25-27節)に対してどのように関わっていくのかということが命じられています。実はどちらのところにも共通して、神様の「情け深さ」が表れています。それは、彼らがもしも「わたし(=神)に向かって叫ぶ」なら、「わたしは…聞き入れる」ということです(23,27節)。つまり、神は「情け深い」ゆえに、寄留者や貧しい人をはじめとする、社会の中で弱い立場にある人々の叫びを聞いてくださるのです。神のもとに、叫びは届くのです。
だからこそ、神は民に対しても同様に「情け深くある」ことを命じられます。「寄留者」そして「やもめ、みなしご」を「苦しめてはならない」と(21-22節)。また、貧しい人にお金を貸すとき、「金貸しのように利息を取ってはならない」、また「上着を質として取ったとしても、夜には返してあげなさい」と(25-26節)。神の情け深さの心をもって、民は弱い立場にある方々に接するように招かれるのです。
3)神の心を体験したものとして
ただ注意深く読んでいくとき、まずイスラエルの民がこの情け深さを経験していたことがわかります。神は決して無理難題として「情け深くありなさい」と命じているのではないのです。「あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである」(21節)とあるように、彼らは寄留者として苦しめられてきました。彼らの苦しみの叫びは、神に届き、そして神はエジプト人に報いて彼らを救い出したのです。つまり、神は「あなたがたもわたしの情け深さを経験したであろう。だからこそ、あなたがたも情け深くありなさい」と言われているのです。
私たち人は「愛されたようにしか愛せません」。それゆえ、私たちはまず「神の愛」を受け取ることが大切なのではないでしょうか。人の愛には限界があります。しかし、神はひとり子を私たちに与えるほどに私たちを愛されたのです(ヨハネ3:16)。ここに完全で絶えることのない愛が表されているのです。「神様はあなたに何をしてくださったのでしょうか」。どうぞ、そのことをもう一度思い巡らし、神の心を受け取ろうではないでしょうか。そして、その心を持って、私たちの隣人にも接していこうではないでしょうか。このように「隣びとを愛すること」こそが、実は「神を愛すること」なのです(マタイ25:40)。 律法の中に、私たちは神の心を知ることができます。さらに、神の心を知り、体験しましょう。そして、神の心を分かち合っていきましょう。