金言
「ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。」(出エジプト23:13)

説教題 「思い起こし続けるために」
聖 書 出エジプト記23章10~17節
説教者 栗本高仁師

 何かを身につけるために、反復練習をすることは大切です。ある意味で、私たちが「神の心を知る」ということも、反復練習ではないでしょうか。

1)神のあわれみを思い起こす

 主は十戒の第四戒で「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」(20:8)と言われました。今日開かれた箇所の前半部分には、安息日に関わることが書かれています(10-13節)。
 ここで「七」というサイクルを大切にするように言われています。私たちにとって一週間というサイクルは馴染み深いですが、実はそれを定めたのは神です。なぜなら、天地創造において「主は六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだから」です(20:11)。それと同じように、六日間は働いて、七日目には休みなさいと命じられます。しかし、そのサイクルは「一週間」だけではありません。直前には「六年間は、あなたは地に種を蒔き、収穫する。しかし、七年目には、その土地を休ませておかなければならない」と命じられ、「安息年」を守るように言われます(10-11節)。
 ここで共通していることは、「働くこと」と「休むこと」のリズムです。「休む」ことはとても大切であり、自分の働きのために、休息がなければ続かないでしょう。ただし、ここで休む目的は何でしょうか。まず「安息日」については、「あなたの牛やろば」、「あなたの女奴隷の子や寄留者」が休み、息をつくためとあります(12節)。次に「安息年」については、「民の貧しい人々が食べ、その残りを野の生き物が食べるようにしなければならない」(11節)とあります。つまり、あらゆる弱い立場にあるものたちを守るためなのです。こうして、七というリズムの中で生きることにより、神のあわれみの心を思い起こし続けるように招かれているのです。

2)神が必要を満たされる

 しかし、「休む」ことは勇気のいることではないでしょうか。彼らは「農耕社会」であるため、七日目に休むことや七年目に畑を休ませて収穫をしないことは生活に関わってきます。そのため、休むためには、主が全ての必要を満たしてくれるという信頼が必要なのです。自分の畑のものを誰かに与えても、家畜や奴隷を休ませたとしても、大丈夫だという主への信頼が問われるのです。
 逆に言えば、私たちは「休む」ことを通して、どなたがこの世界を治めているのかを思い起こし続けることができるのではないでしょうか。まさに、私たちも週に一度の聖日礼拝をささげることで、主への信頼を学び続けるのです。
 それゆえに、神は「わたしがあなたがたに言ったすべてのことを守らなければならない。ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない」(13節)と言われるのです。他の神々は、「もっと働きなさい」と言ってくるでしょう。しかし、私たちクリスチャンにとって大切なことは、すべての必要を満たしてくださる「主なる神」を覚えることなのです(マタイ6:33)。

3)私たちが思い起こし続けるために

 後半部分では、「年に三度」の祭りを守るように命じられます。まず「種なしパンの祭り」です。これは大麦の収穫の始まり(3-4月頃)に行われるが、彼らにとっては「出エジプト」を思い起こすために行います(15節)。まさに、彼らの出発点を思い起こす時です。二つ目は「勤労の初穂(小麦)を献げる刈り入れの祭り」であり、5-6月頃の祭りです(16節a)。三つ目は勤労の実の「収穫祭」であり、秋頃の祭りです(16節b)。これらの祭りのたびに「男子はみな…主の前に出」ることによって(17節)、主が自分たち民を導き、必要を満たしてくださることを覚えるのでした。
 私たちは忘れやすいものです。そのような私たちが思い起こし続けることができるように、神はこのような制度を立ててくださったのです。私たちも、毎週の礼拝において、また(まもなく迎える)「受難週」「イースター」、そして「ペンテコステ」といった一年の中で迎える特別な礼拝において、主が私たちの人生の主人であり、私たちを養ってくださることを覚えたいのです。