金言
「わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その『宥めの蓋』の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。」(出エジプト25:22)

説教題 「天の神と出会う」
聖 書 出エジプト記25章10~22節
説教者 栗本高仁師

 私たちが目に見えないものを信じているということは実に不思議なことです。見えない空気が存在していることを証明するように(すなわち科学的に)は、神が存在することは証明できませんが、確かに私たちは神と出会うということを体験します。それは、神が私たちにご自身を現してくださったからに他なりません。

1)神が出会い、語る

 ここから、幕屋の設計図が示されていきます。幕屋の全体は、天幕(テント)と呼ばれる幕屋の本体(聖所と至聖所に分けられる)があり(25:10-26:37)、その周囲には庭があり、全体は掛け幕で囲まれていました(27:1-19)(別紙参照)。
 まず、主は聖所と至聖所に置かれる什器備品について語ります。それは、①至聖所に置く「箱」と「宥めの蓋」(25:10-22)、②聖所に置く「机」と「燭台」でした(25:23-40)。なぜ、幕屋本体の設計図の前に、幕屋の什器備品について言われるのでしょうか。それは、「わたしは彼らのただ中に住む」(25:8)と言われたように、この幕屋に「天の神が住んでおられること(神の臨在)」を指し示すためです。
 まず、「箱」とその箱のための蓋として「宥めの蓋」です。この箱の中には主が与える「さとしの板」が納められ(16,21節)、「宥めの蓋」の上にはケルビムという神の使いの像が二つ、両翼で蓋を覆うように向かい合って据えられます(18-20節)。これらが意味することは、天の神である「主」がそこで会い、語りかけてくださるということです(22節)。
 このように、天におられる神が、地において、人と出会う場所を備えてくださったのです。

2)神の臨在を表す机と燭台

 それでは、聖所に置かれた「机」と「燭台」についてはどうでしょうか。実は、これらも同様に「神の臨在」を表していることがわかります。
 まず、「机」についてですが、重要な点はその上に「臨在のパン」が置かれるということです(30節)。すなわち、そこが天の神と出会える場所であることが指し示されているのです。また、主は荒野の旅路において「天からパンを降らせ」(15:4)、民に食べ物を備えられました。このパンが絶えず主の前に置くことで、主がともにいて養ってくださることを思い起こすのです。
 もう一つの燭台についてです。燭台の上にはともしび皿を置かれ、油を燃やして火を灯したと考えられます。それは、幕屋の中の唯一の光でした。「主は、…夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた」(13:21)とあるように、まさに燭台の火の光は、「神の臨在」を表しているのです。
 このように幕屋の中に主が住んでくださることを、目に見える形で表してくださったのです。

3)イエスを通して神と出会う

 それでは現代の私たちはどのように天の神と出会うことができるのでしょうか。イスラエルの民のように、目に見える形で「幕屋」は存在しません。しかし、新約聖書を見るときに、イエス様は私たちのただ中に来てくださり、「幕屋(住みか)」となってくださったことが書かれています(「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」ヨハネ1:14)。そして、イエス様ご自身がこのように言われます。「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。…わたしを見た人は、父を見たのです」と(ヨハネ14:7,9)。私たちは、このイエス様と出会い、イエス様を知り、イエス様を見るときに、天の神と出会うのです。
 イエス様と出会う方法は様々ですが、何よりも「ことば」である方が、この地に来てくださり、御言葉を語ってくださいました。そして、聖書のことばを通して、イエスと出会うことができるのです。この幸いを覚えつつ、日々御言葉を味わうお互いとさせていただきましょう。