金言
「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」(ヘブル4:14)

説教題 「神と私たちの間に立つ方」
聖 書 出エジプト記28章1~5、40〜43節
説教者 栗本高仁師

 私たちの社会生活や日常生活の中で、誰かに仲介してもらうということはよくあることです。イスラエルの民にとっては、自分たちを救い出してくれた神と生きる中でも仲介してもらう必要がありました。

1)神に仕える祭司

 実は、その仲介者というのが今日出てくる「祭司」です。
 ところで、ここまで「幕屋」の作り方が語られてきました(幕屋の什器備品、幕屋本体[聖所/至聖所]、幕屋の庭[祭壇]、庭の掛け幕など)が、なぜ突然「祭司」の話になったのでしょうか。それは、神が住まわれる幕屋本体(聖所と至聖所からなる)に誰でも近づけるわけではなかったためです。それゆえに、祭司が必要で、主は民の中からアロンとその子らを選び、「祭司としてわたしに仕えさせよ」(1節)と命じられたのです。
 祭司として主に仕えるということは、「聖なる方(天の神)」に近づくということを意味します。それゆえ、彼らは「聖別される」必要がありました(3節)。そして、彼らを聖別するために、「聖なる装束」を着させ(28:1-42)、任職式として「特別な祭儀」を行うように命じられるのです(29:1-37)。
 特別に選ばれるということは光栄なことですが、主に近づくということは命がけのことでした。実はそのことは民全体に語られていましたし(19:11-13)、民はすでに経験済みでした(20:18-19)。それゆえ、主は祭司たちが死なないように、特別な服を用意させます(28:35,43)。そして、特別な祭儀を行うことによって、彼らを聖なるものとするのです(29:14,20-21)。神はご自身の前に立つための道を備えてくださったのです。

2)神と民の間に立つ仲介者

 このように祭司は命がけでしたが、彼らの務めゆえに民は主とともに住み、主とともに歩むことができたのです。祭司たちが着る「聖なる装束」に、そのことが示唆されています。
 アロン(大祭司)が着る「装束」のリストは「胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯」(4節)でした。この中のエポデの肩当てには、二つの石(縞めのう)が取り付けられていました(7,9,12節)。そこには「イスラエルの息子たちの名」が彫られていました(9,11節)。そのようにして、主の前ですべての民が「覚えられた」のです(12節)。また、胸当てには「十二個の宝石」が並べられました(17-20節)。そこにも「イスラエルの息子たちの名」が彫られ、すべての民が「主の前で覚えられる」のです(21,29節)。さらに、アロンは額の上に「純金の札」をつけ、民の献上物に関わる咎を負うことで、民が主の前に受け入れられるようにするのである(38節)。
 このように、祭司は民を代表して主の前に出ることで、すべての者は主に覚えられ、主に受け入れられるのです。祭司は、いのちをかけて神と民の間に立つ仲介者としての使命が与えられていたのです。

3)大祭司イエスが立たれる

 新約聖書を見るときに、まさにイエス・キリストが私たちにとっての「偉大な大祭司」であると書かれています(ヘブル4:14)。
 イエス様はまさに十字架でいのちをかけて、神と私たちの間に立ってくださったのです。そして、今は「天におられる大いなる方の右に座し」ておられ(同8:1)、私たちの間に立ってとりなしてくださっているのです。この大祭司のゆえに、私たちは神の前に覚えられ、受け入れられているのです。
 それゆえに、私たちもこのヘブル人の手紙の著者の語りかけに応じて「信仰の告白を堅く保とうでは」ないでしょうか。そして、「大胆に恵みの御座に近づ」こうではないでしょうか。