金言
「見よ。わたしはあなたをファラオにとって神とする。あなたの兄アロンがあなたの預言者となる。」(出エジプト記7:1)

説教題 「神の代理人として」
聖 書 出エジプト記6章26~7章7節
説教者 栗本高仁師

 代理人(エージェント)とは、「代理権を有し、本人に代わって意思表示をしたり受けたりする権限を持つ人」のことを指します。実は、聖書を見ると、神様は、私たち人間にこの代理権を与えておられます(神のかたち:創世記1:27-28)。

1)一進一退の歩みが続く

 モーセとアロンは、ファラオのところに行って、イスラエルの子らを導き出そうとしますが、敢えなく失敗に終わり、イスラエルの子らの信頼まで失ってしまいます(5:1−21)。そこで、モーセは主に訴え出ますが、主は「わたしがしようとしていることが今にわかる。わたしが主であることを知る」とモーセを励まします(5:22−6:8)。
 その後、もう一度民のもとに行きましたが、「彼らは失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができ」ませんでした(6:9)。それでもなお、主はモーセとアロンに対して「エジプトの王ファラオのもとに再び行って、語りなさい」(11,29節)と命じます。モーセは「イスラエルの民が言うことを聞いてくれなかったのに、どうしてファラオが言うことを聞いてくれるでしょうか」(12,30節)と主に訴えます。さらに、「私は口べたなのです」と前と同じように弱音を吐きます(4:10)。彼は、遣わされる以前の状態に戻ってしまうのです。このように、モーセの歩みは一進一退でした。それは私たち一人ひとりにも言えることかもしれません。クリスチャンとしての歩みを振り返る時、似たような経験を思い起こすのではないでしょうか。

2)神は「人を通して働く」

 しかし、そのような私たちの歩みを励ましてくださるのが「神様」です。主はここで驚くべきことをモーセに言います。「見よ。わたしはあなたをファラオにとって神とする。あなたの兄アロンがあなたの預言者となる」と(1節)。「神が、預言者を通して、人に語る」のが普通ですが、その「神」の位置に「モーセ(=あなた)」が立ち、預言者の位置に「兄アロン」が立つ、というのです。まさに、神はモーセに代理権を与えたのです。また、「口べた」と言うモーセの代理として、アロンを立てたのです。それゆえ、神は「あなた(=モーセ)はわたし(=神)の命じることを、ことごとく告げなければならない。あなたの兄アロンはファラオに…告げなければならない」(2節)と言います。出エジプトという神の働きは、「モーセとアロン」抜きではあり得ないのです(26節)。
 もちろん、代理人はどこまでいっても代理人であるため、必要なときには神が直接介入して、御力を表してくださり、最終的には「ご自身が主であること」を示されます(3-5節)。しかし、神様は「人を通して働く」というやり方を変えることはなさらないのです。

3)「神の代理人」は継承され続ける

 しかし、神様が用いる人は「モーセとアロン」だけではありません。6章10節〜7章7節までを見ると、不思議なことが一つあります。それは、6章10節〜13節と6章28節〜7章5節までは、「系図」を挟んで(14-25節)、同じ話が繰り返されているということです(6:10, 29節:「主がモーセに語る」、6:12, 30:「モーセが主に訴える」、6:13, 7:1「再び主がモーセに語る」)。別の話(=系図)を挿入したがために、もう一度話を繰り返しているのです。
 それでは、わざわざ挿入された系図は、何を物語っているのでしょうか。系図を見ると、「モーセとアロン」が、イスラエルの父祖アブラハム、イサク、ヤコブ(=イスラエル)の子孫であることがわかります。つまり、「神の代理人」としての使命が連綿と受け継がれてきたことを物語っているのです。
 また、その務めが一世代で終わることなく、継承されることを神様は願っておられます。それは、今の時代の私たちに対する願いでもあるのです。まさに、復活されたイエス様は、「神の代理人として」私たち一人ひとりを招いています。「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」(ヨハネ20:21)と。今日、私たちはこの御声にどのように応答するでしょうか。